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【第一話】

夕凪町は海に面した小さな町です。住んでいる人も少なければ産業もこれといってなく、
町民が育てる農作物や収穫してくる海産物、それとよその人たちとわずかに交易することで
成り立っています。

緑の郷は王家を中心として成り立っており、夕凪町もその庇護下にあります。
しかし王家のある首都やその周辺の都市とは山々によって隔てられているのでどこか
一つの独立した地域のような様相も呈していました。

町の西には海が広がっています。暑いときには泳ぐこともできる、
夕凪町民にとっての憩いの場です。
北に進むと山岳地帯にぶつかり、ここを越えると、首都へと繋がる街道に出ます。
東には草原が広がっています。夕凪町民からすると果てしなく広がっているように見える場所です。
この草原には主として遊牧の民が住んでいます。彼らは定住しないため毎日のように
お付き合いをするわけにはいきませんが、定期的に夕凪町にやってきて乳製品や毛皮と
日常生活用品を交換していきます。夕凪町の子供達の中にはそんな彼らに憧れて
「大きくなったら遊牧をして暮らす」と言う子が必ずいます。

町の南は、森になっています。秋になると木の実が採れる場所です。
けれども、森の奥まで入ってみる人はほとんどいません。
森の奥は滅びの世界へと繋がっていると言われています。
見に行った人が遠い昔にいると言う話です。
今となっては、もう誰も確認した者はいないのですけれど、夕凪町民のほとんどは
その言い伝えを信じて森の奥深くに入ることはありませんでした。
たまに子供達が好奇心一杯になって入ることがありましたが、結局大して奥までいけずに
怖くなって戻ってくるのが常でした。

それでも、滅びの世界の存在を夕凪町の人々が忘れることはありませんでした。
夕凪町には、たまに奇妙な生き物が出てくることがあったのです。
ウザイナーという、滅びの世界からやって来た存在であるに違いありませんでした。

農作業をしている時にも、道を歩いている時にも、ウザイナーは何の前触れもなく
やってくるのでした。

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「あ〜、薫お姉さん早〜い」
一面に広がるキャベツ畑では収穫が始まっています。夕凪町に住む薫とみのりは
毎年春になると収穫のお手伝いをするのでした。
鉈を使ってキャベツを地面から切り離して次々箱に詰めていくのですけれど、
みのりはまだ手が小さいのでうまく扱えずに毎年あんまり沢山のキャベツを
収穫することはできないのでした。
一方の薫はというとこちらはもう慣れたもので、キャベツを切っては詰め、
切っては詰め、テンポよくとんとんと進めていきます。
みのりが一つ、二つのキャベツを収穫している間に薫は七つ、八つ、多いときには
十くらいのキャベツを収穫してしまっていました。
結果的に薫の周りには裸の地面が広がることになります。これもまた毎年のことで、
こうやってキャベツは収穫されていくのでした。
陽はもうすぐ落ちそうになる時刻、薫は額に汗を浮かべながらあと少しだけでも、
とばかりに橙色の光の中で懸命に鉈を振るっていました。

「毎年のことながら大胆な鉈の振るい方、それでいて上品で優雅な身体の動き!!」
「あ、彩乃お姉さんだ♪」
「いちいち解説するの止めませんか……竹内さん」
「薫さん見てると言いたくなるのよ……絵も描きたくなるし。
 今日はありがとう、もう終わりにしましょう。これだけ手伝ってもらえれば
 後は私たちだけでも何とかなるわ」
「去年より少し進行が遅かったような気がするわ……」
「去年より畑を広げたのよ、少し……っ!?」
彩乃には薫が突然鉈を放り投げたように見えました。

よく研いである鉈が向かった先には地面が、その地面から何か丸いものが飛び出した
かと思うと飛んできた鉈の刃に真っ二つに斬られてそのまま消えてしまいました。

「ウザイナー……?」
「この畑で見たのは初めてね」
薫は鉈を拾い上げると刃を拭きます。ウザイナーを斬っても血や体液で汚れることはありません。
そのことは知っていても、ついつい拭いてしまうのでした。

「それなら、帰らせてもらうわ」
「彩乃お姉さん、バイバ〜イ」
薫からずっしりとした鉈を返され、受け取って彩乃は何も言えませんでした。
ウザイナーが出るのはそんなに珍しいことではありません。
とはいえ、顔色一つ変えずにすばやくウザイナーを処理した薫に驚くと同時に
どこか恐ろしいものを感じてしまったのでした。

「薫お姉さん、折角だから森にもちょっとだけ行ってみようよ」
「もうすぐ、日が暮れるわ」
「だからちょっとだけ〜」
遠ざかっていくみのりの無邪気な声と、薫の落ち着いた声が聞こえてきます。

――つくづく、似てない姉妹……当たり前だけど……
鉈を持った手をぶらりと下げると、彩乃は家に戻ることにしました。

この時、キャベツ畑の中で何か小さなものががさがさと動いていたのには三人とも
気づくことはありませんでした。

「えへへ、もうすぐできるね、薫お姉さん」
「そうね」
「夏はあそこで遊べるよね」
「そうなったらいいわね」
森――奥に入るとダークフォールにも通じると言われている森――は、
昼間でも暗く沈んで見えます。今は夕暮れ時ですから、なお一層、
黒々と広がって見えるのでした。
もっとも二人の目的地は森に入ってすぐのところにありましたから
暗くなっていることを恐れる必要はあまりありませんでした。

二人が見上げている木には梯子が掛かっていて、木の上にはできかけの
小屋が乗っています。この前から二人で少しずつ作っているのです。
完成したら『隠れ家』にして、そこで遊ぶんだとみのりは言っていました。
薫は――自分がそこで遊んでいる姿は想像できなかったのですけれど――、
みのりの作った『設計図』にできるだけ近いものになるようにしようとしていました。
二人がここにこんなものを作っていることは大人たちには内緒、
ということになっていました。

「みのり、そろそろ帰りましょう」
「うん」
もう陽は半ば沈み、冷たい風が吹いてきていました。
「そう言えばね、今日お客さんが来てるんだって」
「……そうなの」
「なんかずいぶん昔のお父さんたちのお友達なんだって。
 薫お姉さん会ったことある人?」
「さあ。……たぶん、ないと思うわ」
「そうなんだ。何かお土産があるかなあ?」
「そういうのを期待するのは上品とは言えないわね」
「はあい」

二人の家は夕凪町で唯一のパン店PANPAKAパンです。家に戻ると、
みのりの言ったとおりお客さんが来ていました。今はお父さんがもっぱらお話をしているようです。
「二人とも、ご挨拶して」
お母さんに促されて二人でお父さんの後ろに並びます。
「初めまして、みのりです」
「……薫です」
みのりがぺこり、と頭を下げるのに釣られるように薫も頭を下げました。

「やあ、今晩はみのりちゃん、それに、薫ちゃん」
お客さんは二人でした。お父さんくらいの年のおじさんと、
薫より少し年上に見える男の人と。

「……もっとも、薫ちゃんとは初めましてじゃないんだけどね」
「え?」
おじさんは薫を見て目を細めて笑いました。お父さんとは違って少し痩せ型の、
どこかの学者のような人でした。

「昔、薫ちゃんがまだずっと小さかった頃に会ったことがあるんだよ。
 赤ちゃんだったから、覚えていなくて当たり前だけどね」
「そう……なんですか」
「美翔さんは以前はこの町に住んでいたんだよ」
お父さんが二人に説明してくれます。
「薫がまだ小さかった頃に引越しをしてあちらこちらに住まれて、
 それでまた今回こちらに戻ってこられたんだ。
 和也君は色々なところに住んでいた経験もあるし、勉強もよくできるそうだから
 色々教えてもらったらいいんじゃないかな」
「いや、そんなことは……よろしくね、薫さんみのりちゃん」
「はい、よろしくお願いしま〜す」
薫は黙って小さく頭を下げました。そして「ちょっとすることがあって」と言い訳をして、
自分の部屋に戻りました。


――知らない人は苦手だ……。
自室に戻ると薫は一つ息をつきます。
みのりは薫の六つ下の妹ですけれど、初対面の人ともすぐに打ち解けて話ができます。
今もきっと、お客さんたちとお話をしているのでしょう。
薫の方はと言うと、初めて出会う人とは基本的に話をすることができません。
もともと表情があまり豊かでないせいもあって、他の人からは話しかけづらいと
思われているようなのですけれども、自分から話しかけていくのも苦手なので
誰かと打ち解けるにはかなりの時間が必要になるのでした。

これから、お客さんたちと一緒に夕食、その後はケーキでも、という流れになるのでしょう。
――何か、回避できる手はないものだろうか?
そんな手はありません。それを良く知っていながらも、薫はついつい考えずには
いられないのでした。

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