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飛び出した咲のほうはというと、少し走ったところで舞にぶつかりそうになった。

「わ、とと、ごめん、舞!」
「どうしたの咲、そんなに急いで?」
そのまま走り去ろうとした咲だが不意に思い返したように「舞も一緒に来て!」
と手を掴むとまた走り始める。

「さ、咲!? どうしたのよ!?」
「満と、薫が、家の方が、いいって言ったら、すぐに、連れて、帰って、こないと!」
「ええ!?」
全く分かっていない舞を連れて、どんどんと咲は町を駆ける。
代官邸が見え始めた頃咲はようやく速度を緩め、舞にゆっくりと事情を話し始めた。

「だから――、もし二人がここが嫌で出てきたらすぐに家に連れて帰ろうと思って……」
「うん……」
咲の話を聞いた舞にも、どうすればいいのか良く分からなかった。
咲のお父さんが言ったという「二人はお代官様の元で暮らす方が幸せかもしれない」
という考え方も分かるし、咲の気持ちも分かる。
舞としても、満と薫には日向屋にいてもらいたい。しかし自分達に何ができるかというと
咲の言うとおり、「満と薫が帰ってくるのを待つ」しかなさそうだ。
代官邸の門は固く閉ざされていて入れそうにもない。

――満さん、薫さん……

この巨大な屋敷の中に居る二人の姿は想像もつかない。
咲と舞はじっと立ち尽くしていた。

「ねえ、舞」
「……何?」
咲が不安そうに話しかける。
「満と薫、家にいるほうがきっと幸せ……だよね」
確かめたいように舞に問いかける。舞はええ、きっと、と頷いた。

「お代官様の元で暮らすというのがどういうことなのかよく分からないけど……、
 薫さんとこの前話をした時は『日向屋のみんなと居るのがいい』って言ってたわ」
「うん……そうだよね」
そうだよね、と呟いてみたものの、ここでこうしていても満と薫は
ずっと出てこないのではないかと言う不安に駆られる。
――もしも、満と薫がお代官様の家で暮らすことになったら……、
そんなの満と薫は幸せじゃない、と思ってもみるが実際のところはよく分からない
ということに咲も気づき始めていた。
日向屋の外で過ごすほうが満と薫にとっては幸せと言うことがあるのかもしれないと。

しかし、咲にとってそれは幸せではなかった。
咲自身のために、満と薫には日向屋に居て欲しい。咲ははっきりとそう感じ始めていた。


時間を少し戻して郷屋が日向屋に来ている頃、代官邸でも一騒ぎ持ち上がっていた。
「何か様子変だよねえ」
代官の三男、ドロドロンの上に覆いかぶさるようにして三男一女が集まっている。
四人の注目の先は父の代官である。妙にそわそわとしていて様子がおかしい。

「ふふ、さっきこっそり聞いてきちゃったわ郷屋との話」
「何か知ってるのかミズ・シタターレ」
「聞きたい?」
「抜け駆けは良くないぜ、チャチャ!」
「父上に気づかれるじゃないか〜、静かにしろよぉ」
ミズ・シタターレは得意げに兄弟三人を見下ろしてから、
「隠し子がいるそうよ、それで今夜その子達を呼ぶんだって」と告げる。

「なんだとっ!」
一番大きな声を上げて驚いたのはカレハーンだった。すぐに他三人から
静かにするよう窘められる。

「それでどういうことなんだ、隠し子とは」
「詳しい経緯なんか知らないわよ。ただ、隠し子を連れてこいって郷屋に言っている
 のを聞いただけだもの」
「使えんな」
「何よ」
「でも父上にもそんな子どもがいたんだね」
「これまで出てこなかったのが不思議って気がするぜ、チャチャ!」
シタターレとカレハーンが喧嘩している横でモエルンバとドロドロンは能天気な会話をしている。

「お分かりになりましたな、満殿に薫殿。
 お代官様は素直なお子様を望んでいらっしゃいます」
代官邸の前に駕籠が止まる。その中から郷屋と満、薫が降り立つ。
郷屋は駕籠の中でよく今後のことを言い含めた。
もう日向屋には戻らずに代官邸に住むことが二人の取るべき道であると。
そのためには代官に気に入られることが重要であり、そのためにはどういった態度をとればいいか。

満と薫が黙って聞いているので郷屋は上機嫌だった。
――お二人にも分かっているのでしょう、お代官様におすがりせねばいけないということが……

二人の表情が凍り付いていることはまだ郷屋には読み取れていなかった。
単に普段から無表情な娘たちであるから仕方ないと思っていた――代官の前では
少しは愛想良くしてもらいたいが、止むを得ない程度に考えていた。

満と薫の前に立ち郷屋が代官邸に入っていく。物見高い代官の子ども達が
部屋からこっそり覗いているのを感じながら、代官の待つ奥の部屋へと
郷屋は二人を案内した。

その様子を見て驚いたのはシタターレたちの方である。
「満と薫!? あの子達が隠し子だっていうの!?」
「なんだあいつら……日向屋にいる奴らじゃないか」
「へえ、あんなに小さい子達が隠し子なんだね」
「父上も隅におけないぜチャ、チャ」
一瞬なりとも各自それなりに想像していた隠し子――彼らにとっては兄弟でもある――が、
実物の登場ではっきりと目の前に現れてみると無性に腹立たしくも思える。

満と薫ではミズ・シタターレにとっては身近すぎて可愛い妹になるとも思えないのであり、
「……正直、私あの子達が妹だと言われても困るんだけど」
「僕も」
と、ドロドロンが同意する。

「失礼いたします、満殿と薫殿をお連れしました」
恭しく言葉をかけ郷屋は代官の待つ部屋に入る。代官は上座にどかりと胡坐を
かいて座っていた。
さすがに代官の地位にある男である、その目つきは鋭く何者も見逃さないように見える。
満と薫もその姿には畏れを覚えた。

「座れ」
低く呟き郷屋、満と薫を並べて座らせる。そのまま品定めするかのように
満と薫をじろじろと眺め上げる。
一つの部屋に入った四人に沈黙が重くのしかかる。誰も何も喋ろうとしない。

「お代官様、このお二人が満殿と薫殿でございます」
「……うむ」
「ほらお二人とも、お代官様にご挨拶なさいませ」
「……」
二人は黙ったまま動かなかった。代官の二人を見る視線が徐々に鋭さを帯びてくる。

「ほら、お二人とも」
郷屋が再びせかす。薫がわずかに顔を郷屋のほうに向けた。

「……それって、命令?」
小さいがしかしはっきりと聞こえる声だった。
「な、何を言っているのです!?」
「私たち、命令されるの嫌いなの」
満が更に言う。郷屋は頭が真っ白になるような感覚を覚えた。
「何をふざけたことを言っているのです、お代官様の前で!」

「お代官様」
薫は郷屋を無視して代官に向き合い畳に手をついて頭を下げる。
「私と満は、……父親はいないと言われて育ちました。
 母が他界してから、私たちは日向屋にお世話になってきました。
 今になって、お代官様の子であると言われても……」
「何を仰っているんです満殿」
「私たちは、お代官様の元ではなく日向屋にいたいのです」
「満殿まで」
満と薫は郷屋のことはもう意識に入れていなかった。

――ああ、もう、駄目だこりゃ……

郷屋は内心で頭を抱えた。駕籠の中であれだけ素直な態度を見せるよういい含めて
おいたのに、この二人にはそんな気が全くない。

「お代官様、私たちをどうか……」
頼もうとした二人の言葉は鋭い音に遮られた。代官の手に持っていた扇子が
畳に叩きつけられへし折れる。びくりと二人は口を閉じた。

「お前達……」
代官の声が重く響く。
「我の前から消え去れ!」
雷のような言葉に満も薫も思わず身をすくめた。

「怒らせちゃった」
声は代官邸の隅々まで響き、ドロドロンが父の怒鳴り声に身を縮める。

「出て行け!」
代官の言葉に背を押されるようにして満も薫も部屋から転がりでると、
「は、早く出て行きなさい!」
郷屋にまで怒鳴られて来た道を戻る。

「郷屋、あっさり掌返したな」
「父上をあれだけ怒らせたんじゃしょうがないぜ、チャチャ!」
代官の子ども達はことの顛末に大笑いしていたが、満と薫はそれに気づかずに
家の中を走りぬけ門へと至る。

「満!」「薫さん!」
「咲!」「舞!」
突然門が開いて満と薫が飛び出してきたので咲と舞は驚いたがとにかく走ってきた
満と薫の身体を抱きとめた。

「ど、どうしたの……?」
「お代官様に怒られたわ」
咲の腕の中で満が呟く。
「私たちが、日向屋にいたいと言ったら……」
薫は舞の腕からするりと抜け出した。
「でも、もうきっとお代官様は私たちのことを娘だなんて思ってないと思うわ」
そう言って代官邸をちらりと見やる。門はもう閉じ、侵入者を拒んでいた。

「え、だったら二人は……」
「また日向屋においてもらえるかしら?」
満の問いに、咲はもちろんだよ! と請合う
よかった、とほっと安心して。それは舞も同じだった。
「早く帰ろう、家に」
四人はゆっくりと代官邸を離れる。

しばらく行ったところでひどく背の高い男とすれ違った。
「すまぬ、そこの四人。このあたりに代官の屋敷があると聞いたが……」
あそこですよと咲が指差すと、男は礼を言って去っていった。


「申し訳ありませぬお代官様」
郷屋はひたすらに謝る。
「まさかあのような不躾な態度をとるとは思いませんで……もちろんすぐに
 追い出して参りました」
「……」
代官は何も答えないまま燃えるような目で睨みつけている。
これは相当まずい、どうにかしてご機嫌をとらねばと郷屋は冷や汗が出てきたような
気がした。

「頼もう!」
突然場にそぐわない大声が響く。誰かがこの屋敷を訪ねてきたようだ。
「わ、私ちょっと誰が来たのか見てまいります……」
ちょうどよい理由ができたと、そそくさとその場を離れ訪問者を見に行く。

「どちら様で……」
「私は金久に住むキントレスキー。ここのミズ・シタターレ殿と
 縁談が進んでおる。たまたまこの近くに来たので、立ち寄った」
ややこしい時にややこしい者が、と郷屋は内心舌打ちしたが、

「それでどういった御用件で……」
「どうもこうもない。挨拶に参った」
――これは、ミズ・シタターレ殿とお代官さまに会わせぬわけには……しかし、今
  お二人に引き合わせても……

ミズ・シタターレは元々縁談に乗り気ではないのだからまともな態度は取るまい。
今の激怒したお代官様では何をしだすか分からない。
下手をするとこの縁談自体が壊れる。そうするとたまたまこの場にいる自分が
不興を買う可能性は高い。

「いや、実はお代官様もミズ・シタターレ殿も現在臥せっておられて……」
断ろうと話し始めるが、誰かの足音が後ろから近づいてきて
郷屋は思わず振り返る。

「誰が臥せっているですって?」
よりによってミズ・シタターレがやって来た。
「いや、そのですな……」
慌てる郷屋を見下すように笑うと、ミズ・シタターレは客人の方に目を向けて
動きが止まった。

「あ……あなたは……」
「?」
少女のように照れるミズ・シタターレを見て郷屋もキントレスキーも
事態が全く飲み込めないままぽかんと立ち尽くしていた。

日向屋に入ろうとするとき、満と薫は一瞬足を止めた。
「どうしたの?」
咲がきょとんとした顔で尋ねる。
「入ってもいいのかどうか気になって」
「いいに決まってるじゃない、家族なんだから!」
咲は立ち止まった満を押し込むように店の中に入れる。舞も躊躇している薫に
中に入るように促した。
「薫さんはここの皆と一緒に居る方が好きなんでしょう?」
ええ、と薫は照れたように頷くと静かに中へと入っていく。

「お帰りなさい」
大介と沙織のいつもと変わらない笑顔が一同を迎えた。


数ヵ月後。
ミズ・シタターレとキントレスキーの婚礼は盛大に行われ、シタターレはキントレスキーに
ついて金久へと移り住んだ。

「失礼いたします」
郷屋はいつものように代官の部屋に入る。代官はじっと畳を見ていた。
「失礼いたします」
声を大きくするとやっと気づいてこちらに向く。
このところ代官は一気に五年ほど老け込んだように郷屋には思えた。

「……静かになりましたなあ」
ミズ・シタターレが嫁いでいってからこの家は実に静かになった。
カレハーンは落ちついて勉強できるとこの状況を歓迎しているようだったが。

「うむ……」
代官はあまり興味なさそうに答え、
「これを食べてみよ」と紙の上に乗せた団子を郷屋に渡す。

「は……?」
「いいから、食べてみよ」
代官に促され、郷屋は団子を口に含んだ。

「どうだ」
「美味しゅう……ございますな。しかし少々甘味が強いような……」
「うむ」
さもあらんと代官は頷く。

「ドロドロンにたまには日を浴びさせようと思うてな。日向屋に買いに行かせた」
「日向屋に……左様でございますか」
「店が混んでいる時間帯だったそうですぐにはできなくてな。
 満と薫が後から届けてきおったわ」
満と薫。二人の名を聞いて郷屋はびくりと緊張した。

――もしや、お代官様はまだあの二人に御執心なのでは……

だとすれば、何とかせねばなるまい。郷屋は代官の言葉に耳を傾ける。

「この団子、満が作ったそうでな。甘いしそこそこ美味いが
 こう――深みが足りない。そう言ったら、」
「何と答えました」
「日向屋で修行をつんでもっと美味しい団子を持って参りますと答えた」
「左様ですか」
「ああ。二人とも、以前ここに来た時よりずっと楽しそうな顔をしておったわ……」
代官は二人の顔を思い出すような表情をしながらふっと口を閉ざした。

「のう、郷屋」
「はい」
「我はそろそろ隠居しようかと思う」
えっと郷屋は驚きの声を上げた。この人は死ぬまで現役でいそうだと思っていたが。

「カレハーンにそろそろ家督を譲ってもいい頃だ。隠居すれば、ミズ・シタターレのいる
 金久にも、日向屋にも気楽に行けるからな」
「……左様で、ございますか」
「ああ。そう考えておる」

郷屋が何も言えないでいると、代官は立ち上がり碁盤を持ってきた。
「お、お代官様、私が持ってまいりましたのに!」
構わぬと代官が碁石を郷屋に渡す。妙にすっきりとした表情だった。
「手加減はいらぬ、本気でな」
碁石を置く乾いた音が部屋に響き始める。


-完-

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