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「それは……」
「それは?」
薫が繰り返す。シタターレはちらっと周りを見ると、「あんたたちちょっと来なさい」
と五人を自分のそばに呼び集めた。

「こんなこと大きな声で言えることでもないのよ」
妙に照れたような口調である。四人とも顔に疑問符を浮かべて彼女を見ている。
「つまりその、私には既に……」
核心が告げられるのを察して四人とも何となく身を乗り出す。

――心に決めた人がいる。

消え入りそうなシタターレの声を聞いて咲だけがえっと叫んでしまった。
慌てて口を閉じるもシタターレはばつの悪そうな顔をしている。

「そ、それで、その人は?」
他の三人を置いて咲だけがやや興奮気味だ。
「その人はって?」
「どういう人なの?」
「知らないわ」
「知らないって……だって、心に決めた」
咲の言葉は言いかけたところで消えた。ミズ・シタターレに口を塞がれてしまったからだ。

「そんな声で言うんじゃないわよ。全く無神経なんだから」
「あぐぐ……」
ぷはっと息を吐いて咲はシタターレの手から逃げ出す。

「で、その人とはどこで知り合ったの?」
息を整えてから改めて咲が問い直す。

「……賭場よ」
ぽっと頬を赤らめて言うのではあるが出てきた言葉はどうにも嫁入り前の娘には
似つかわしくない。

「あの夜は本当にツキが回ってきていて、丁半で賭けるたび賭けるたび当たってねえ」
ははあ、と咲は相槌を打つ。

「あんまり私が勝つもんだからいかさまでもやってるんじゃないかと周りの連中が
 考え出した頃だよ。あの人が、突然私に勝負を持ちかけてきたんだ」
「勝負?」
「あの人はこの町のもんじゃない。ちょっと遠出してきてたまたまその賭場で
 遊んでたって感じだった。……で、私に二人きりで丁半をすることを持ちかけてきたんだ」
「二人きりって?」
「あの人もそれなりに儲けていたからね。あの人が賽を振って私が当てる。
 当てられたらあの人の有り金を全部私が貰って、当てられなかったら私のを
 全部あの人に渡すという勝負を挑んできたのよ。本当はそんな勝手なこと許されないんだけど、
 周りの人間がやんやと囃し立てたものだから賭場の人たちも一度だけその勝負を認めると
 言って賽を貸してくれたんだ」
「そ、それで?」
続きが気になるようになった咲が促す。

「私はちょっと迷ったんだけどね。どうせあぶく銭だし、勝負に乗ることにした。
 二人で向き合って座ってさ、今まで稼いだ分を二人とも全部どっさりと並べて
 あの人が賽を二つ持って振って……『丁!』と私は賭けたんだ」
「どうなったの?」
ふふ、とシタターレは笑う。

「目は半だったわ。私はそれでその夜の博打はやめることにして賭場を出た……ら、
 あの人が追いかけてきたのよ。何しに来たのかと聞いたら、『勝負に乗るとは
 見事だった。お前も中々のつわものだ』……と。それだけ言って、
 また賭場に戻ってしまった」
「その後はどうなったの?」
「それきりよ」
「それきり?」
「ええ、それきり会ったことはないわ……でも、賭場に出入りするようになった
 私にあんな優しい言葉をかけてくれたのはあの人が初めてだったから……」
それはそうだろう。賭場に出入りする娘に優しい言葉をかけるような人間は
そういまい。満と薫は冷静にそう考えていたが、咲は今の話に妙に感銘を受けたようだ。
もともと舞や私たちよりもそういったこと――好きな人ができたとか、誰かに恋をしたとか――
に興味があるから、と満は咲を見て思った。

「じゃあ、その人が心に決めた人……でもずっと会ってないんじゃ……」
思ったとおりだ。咲はミズ・シタターレにすっかり共感している。
「どこの人かも分からないんだよね……難しいなあ」
咲が呟くと「ええ」とシタターレは頷いた。
妙に素直に、ほんのりと頬を染めた様子はいつもと違って
かわいらしく、彼女が嫁入り前の娘であることが改めて思い出される。

毒気が抜けたらしく、ミズ・シタターレは舞に謝ると帰っていった。


その頃、気分転換に馬を走らせていた代官も自分の屋敷に戻り郷屋を相手に茶を啜っていた。
「それにしても、何でございますな」
「何だ」
「私のお納めしたものはミズ・シタターレ様には気に入って頂けなかったようで」
郷屋は嫁入り道具を見せても軟化しなかったシタターレに内心怒り心頭だったが
そのことはおくびにも出さずに代官と話を続ける。

「捨て置け」
取るにたらぬことのように代官は答える。
この人の中でミズ・シタターレの存在はもはやどうでもいいものになったもかもしれないと
郷屋には思われた。

「のう、郷屋」
しばしの沈黙の後代官が話しかける。
「何でございましょう」
「いや……なんでもない」
郷屋は待つことにした。こんな風に言おうか言うまいか悩んでいる時は
放っておくほうがいい。そのままにしておけば寂しくなってやがて話し始める。
郷屋はまた茶を口に含んだ。
ミズ・シタターレの件がうまくいかなかったのは実に手痛い失敗だ。
代官が何か別のことを望んでいるなら、今度こそ上手くそれを実現しなければ
ならない。自分の現在の地位は代官の望みをかなえることで得たものだ。
今後も上手くやらねば自分が危うい。

「のう、郷屋」
「はい」
来たか来たかと郷屋は待ち構える。
「お主、知っておるか。日向屋の娘を」
「は……?」
「知らぬのか」
「いえいえ、知っておりますとも」
拍子抜けしながらも郷屋は答える。
「咲とみのりの姉妹でございましょう」
「ほう、そのような名か」
「ええ、少し茶色っぽい髪をした、どこか狸っぽい風貌の姉妹でございましょう」
途端に代官の顔が曇る。

「いや、それは我の考えておる者とは別人じゃな。日向屋の店の前におった、
 赤い髪と青い髪の二人の娘について知りたいのじゃ。どちらも少し釣り目気味で
 どう見ても狸ではなかったぞ」
「ああ、それは」
郷屋は得心したというように頷いた。
「満と薫でございますな。日向屋に住みこんでおりますが、あの家の娘ではございません」
「ほう……」
代官は茶碗を畳みに置く。

「丁稚か」
「……ということでもございませんな。親を亡くしたので日向屋に育てられている
 ということらしいですが」
「ふむ。して、親の名は?」
「ええと……、確か母の名は『きり』とか。父の素性は、」
郷屋はここで声を潜めぐいっと身を乗り出した。
「良く分からぬはずです」
「ふむ……郷屋、お主相変わらず下々のことまで良く通じておるのう」
代官の言葉に郷屋は媚びた笑顔を顔の全面に貼り付けて「いえいえ、」と笑う。

「お代官様のためならばと思い、日ごろから情報の収集には励んでおります」
「そうか」
「して、お代官様……」
郷屋は揉み手をして代官にさも重大そうな口調で、

「あの者達のことを御所望でございますか。この郷屋にお任せ下さいませ。
 あの娘たちを必ずお代官様のお側に仕えさせましょう」
側に仕えるなどとは方便である。若い頃は女好きで鳴らした代官のこと、
すぐにでも帯をくるくると巻き取り良いではないか良いではないか、……という
段取りになるに決まっている。しかし代官がそれを望むならそれで良かろう。そう郷屋は
考えていた。

「郷屋。お主も悪よのう」
「いえいえお代官様こそ……」
下卑た笑いを顔一面に浮かべた郷屋から代官は目をそらした。

「しかし、我はそのようなことを考えておるのではない。
 自分の娘よりずっと年若い者達に手を出すほど耄碌してはおらぬ」
あれれ、と郷屋は当てが外れた。

「それでは、あの者たちは……」
「うむ」
代官は腕組みをし目を閉じる。郷屋はまた彼が話し出すのを待った。

「お主には話していなかったと思うが」
暫し考え込んだ後代官は再び口を開いた。
「はい」
「我には十五年ほど前に懇ろになった女がいる。やくざな者どもに絡まれておったのでな、
 助けてやったのじゃ。相当怯えておったので我の家に連れて帰り慰めてやった。
 翌朝には女も自分の家へと帰り、それきりだと思っておったのじゃが」
「……はい」
「しばらくしてから手紙が来てな。子を孕んだと」
「ははあ……そんなことがあったのでございますか」
「うむ。しかしそれもまたそれきりじゃった。手紙でそれを知らせて来ただけで
 特に何をせよと言うでもなく、ぷっつりと音信が途絶えたからのう」
「そうでございますか」
「しかし、だな」
代官は目をかっと見開いた。

「今日見た満と薫という娘、その時の女に良く似ておる。女の名前も『きり』であった」
「お代官様、もしや……」
「うむ。我の娘ではあるまいか」
しかし――と言いかけて郷屋は口を閉じた。仮に満と薫の母親と、代官が通じたと言う女が
同一人物であったとしても、今の話を聞く限り二人が代官の子であるという保証はない。

――だが、それはそれで構わないかもしれないですねえ……御代官様が御自分の子どもで
  あるとお考えなら……

代官の子であるという保証はないが、代官の子でないという保証もない。
ならば代官の思うままにさせれば良かろう。
代官は情け深いとはとてもいえない性格である。恐らくはミズ・シタターレが
自分の言うことを全く聞かなくなった現在、新しく娘が欲しくなっただけだろう。
そこにたまたま満と薫の姿を見、昔の女の面影を重ねているのだろう。

「お代官様、この郷屋、あの二人をこの屋敷に連れてまいりましょう。
 二人とよくお話をされ、お代官様のお子様であるかどうか良く見極めくださいませ」
「ふむ、そうか」
「二人は二人で、お代官様のような方が父親であると分かれば喜びましょう」
――どちらかというとお代官様が二人を自分の子だとは認めず、二人がお代官様の
  子と名乗りたがった場合の方が問題ですかね……少し考えておきませんと……、

すぐに手配しろ、今すぐにだという代官の言葉を聞き退出しながら、郷屋はもうそんなことを考えていた。


「失礼いたします」
日向屋が一日の仕事をほとんど終え店じまいの支度をしようかという頃、
やけに大きな、しかし丁寧な物腰の声がした。なんだろうとみんな一瞬顔を見合わせる。
もう店はとうに閉まっているというのに――、咲が出てみようとしたら
両親の方が先に出ているのが見えた。

「こちらに満殿と薫殿という方がいらっしゃると聞いて伺ったのですが」
相変わらずの大きな声が聞こえてくる。
「何ですか」
名前を呼ばれて満と薫が客の前に立つ。
「おお、満殿と薫殿、これはこれは。私、この先にある郷屋の者でございますが――、」「知っています」
薫に無愛想に言われても郷屋は気にする様子もなく、
「それでは話が早い。私、お代官様の使いで参りまして」
代官という名を聞いて日向屋の一同はやや緊張を覚えた。
このあたりの一番の権力者である。
郷屋はその名の威力を確かめると更に落ち着いた声で、
「実はお代官様は今日、お二人のことを偶然ご覧になったのですよ――
 それで、お二人が自分のお子様ではないかと直感されたのですな」
「えっ?」
間の抜けた声を上げたのは咲だけだったが、他の面々もぽかんとした表情を浮かべる。

「いや驚かれるのもごもっとも――しかし、お二人は確か父となる人のことはご存じないはず、
 お代官様の話によると、昔お二人と良く似た方との間に子供を生したことがおありになる
 そうなのですな」
「たったそれだけで?」
満が凍りついた表情で問い返す。

「それだけではございませんとも――、お二人の今までの経歴とお代官様の
 お話は実によく一致しておりましてな、お代官様としてもお二人をこのまま放っておくには
 忍びない、分かったからにはぜひお手元で養育されたいと……」
「そ、それって!」
店の奥の方でこっそりと聞き耳を立てていた咲が慌てて飛び出してくる。
「み、満と薫を連れて行くってこと!?」
「連れて行くとは人聞きの悪い」
郷屋は笑った。
「お代官様もせっかちなお方でして、――まあ、お二人と今までずっと離れていたから
 というのもあるのだと思いますが――今夜のうちに、お二人をお屋敷に迎えたいと
 お考えなのですよ」
「今夜!? そんな急な!」
咲に郷屋はにやりと笑ってみせる。満と薫は困ったように顔を見合わせた。
「親の情愛ですなあ、自分の子どもがいると知ったら居ても立ってもいられないと、
 そうお思いになられたのでしょう」
さあ満殿、薫殿、参りましょう――郷屋は戸惑っている二人の腕をぐっと掴むと
恐ろしい力でそのまま店の外へと引きずり出す。

「ちょ、ちょっと、待ってよ!」
咲の目の前で満と薫は用意させていた駕籠に押し込まれ、
郷屋が乗り込むと駕籠はすぐに出発した。

「待って!」
走って追いかけようとした咲の肩を父の手ががっしりと掴む。
「だめだ」
「お父さん……どうして?」
咲の目に見る見る涙がたまって行く。そもそもどうして、郷屋の話を黙って聞いていたのか、
どうして追い出してくれなかったのか、どうしてきつく断ってくれなかったのか、
そしてどうして今止めるのか、沢山の「どうして」が父に向かって浮かんでくる。

「もし、本当に満ちゃんと薫ちゃんがお代官様のお子様なら、
 家にいるよりはお代官様のところにいた方がいいんだよ」
「どうして!? お父さんは満と薫がいないほうがいいの!?」
「そうじゃない」
大介は咲の両肩に手を置くとしゃがみこんで咲と視線の高さを合わせた。

「お父さんだって、二人にはここに居て欲しい。でももし、二人が本当にお代官様の
 子どもで、そして一緒に暮らせるのなら、お父さんや咲が止めちゃいけないんだ」
「そんなの……分かんない」
「いいかい、咲。お父さんもお母さんも、咲とみのりが幸せになれるように願っている。
 満ちゃんと薫ちゃんのことを二人のお母さんからお預かりしてからは、
 二人が幸せと思えるように頑張ってきたつもりだし、一番幸せになれる道を歩んで欲しいと
 思っているんだ。お代官様と一緒に暮らす方が二人は……」
「だって、満と薫は!」
ここに居た方が幸せに決まってる――という咲の言葉に、大介は首を振った。

「お父さんだってそうであってほしい。でも、それは満ちゃんと薫ちゃんが
 判断することなんだ。咲やお父さんが決めることじゃない」
「……じゃあ、私、お代官様のお屋敷の前で二人のこと待ってる! 二人が
 やっぱり家の方がいいって出てきたらすぐに連れて帰ってくる! それなら
 いいでしょ?」
「あ、ああ……」
曖昧な返事をすると咲はすぐに飛び出していってしまった。

「……良かったの?」
黙ってやり取りを見ていた沙織が尋ねた。
「え?」
「本当は、すぐにでも満ちゃんと薫ちゃんを連れて戻って来たいんでしょう?」
「……まあ、な……」


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