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「いかが……かな」
代官が手に持った碁石をしゃり、しゃりと擦り合わせる。

「全て世はこともなし」
「左様でございますか」
代官の碁石の音が大きくなる。

「そんなわけがなかろう!」
代官がいきなり碁石を碁盤に向け投げつけた。整然と並んでいた白と黒の石が
ぱっと四方に散らばる。
郷屋はじっと動かぬまま石の散乱した碁盤を見ていた。
「のう、郷屋」
「はい」
代官の本音が出るのはこういうときである。一言も聞き漏らすまいと耳をそばだてている。

「我は素直な娘が欲しい」
「……」
「優しくて気立ても良く、我の言うことをはいはいと聞き、しっとりとした雰囲気で
 花を活けているような娘だ」
「お代官様、それはもしや……」
郷屋はわざと一度区切ってから尋ねる。

「どこかから娘を連れてくるという話ではなく、お代官様ご自身のお子様のことでございますか?」
「そうに決まっておる」
「そればかりはこの郷屋にもご用立てできかねますなあ」
大げさなまでに頭を下げて謝る。ミズ・シタターレのような娘を間近に見て居れば
そう嘆くのも無理はないと思えるが。

「肝心な時に役に立たないのう」
「申し訳ございませぬ」
仰々しく謝って見せた。もちろん代官も、郷屋に自分の娘を求めてもどうにもならないことは
分かっているので単なる形式である。

「ミズ・シタターレ殿、最近はいかがでございますか」
八方に散った碁石を集め、集め終えたところで郷屋は再度お伺いを立ててみる。

「ふてくされておるわ。我が進めておる縁談の話がそんなに気に入らんのかのう」
「ははあ……」
代官が知り合いを頼ってミズ・シタターレの相手を決めたと言う話は
郷屋も聞いていた。代官家の少し離れた親戚筋に当たる男で、ミズ・シタターレよりも
少し年上だと言うことだ。

「まったく近頃は遊び呆けておる」
「左様でございますか」
困ったものよ。代官は深いため息をついた。ミズ・シタターレに縁談が持ち上がったのは
初めてというわけではない。既に二、三度、具体的な話があった。
しかしミズ・シタターレの素行についてどこかからか聞き伝えるのか、
相手側から遠まわしな断りを入れられるのが常であった。

しかしこの度は相手の家も結婚を急いでいるらしく、大抵のことでは向こうも
引き下がりはすまい――というのが代官の目論見である。
郷屋の情報では、今度の相手はかなり常識はずれらしくそれゆえに何度も
破談になっているという話であった。代官には伝えていなかったが。

「そこで、お代官様。この郷屋、そのご縁談のために
 微力ながら力を尽くしたいと考えておるのでございます」
「ほう?」
代官が初めて興味深げに郷屋を見た。
「策があるのなら、申してみよ」
「はい」
改めて郷屋はいずまいを正す。

「外堀から埋めて行く作戦にございます」
「城攻めでもするつもりか」
「いえいえ、ご冗談を。……お代官様、嫁入りともなれば種々の調度を揃えるものにございます」
「それはそうであろうな。それで?」
「ミズ・シタターレ殿も、やはり綺麗な着物や道具はお好きでございましょう。
 ここはひとつ、豪華絢爛な調度を用意して、雰囲気を盛り上げてみては
 いかがでしょう。ミズ・シタターレ殿もその気になるかもしれませぬ」
「ふむ……」
代官は胡坐を組みなおすとしばしの間庭を見つめて考えた。

「郷屋」
「はい」
「そこまで言うからには、すでに具体的に準備を進めているのであろうな」
わが意を得たりとばかりに郷屋はにやりと笑った。

「もちろんでございますともお代官様。この郷屋、お代官様のためならなんでもいたします」
「能書きは良い。何をしているのか申してみよ」
「わが郷屋の総力を挙げて、着物を仕立てております。これまでにない着物にするための
 工夫も色々と。さらに、私の知り合いに頼んでそのほかの調度品も整え初めております」

「ふむ……」
碁盤の上に残っている碁石を代官は片付け始めた。
「出来上がってくるのを楽しみにしておるぞ、郷屋」
「はは、お待ちくださいませ」
わざとらしいまでに郷屋は平身低頭した。
――婿殿としてはどんな方か分かりませんがね……ミズ・シタターレ殿も選べる
  立場ではありませんから……
内心そう思うが、表には出さない。


「舞お姉さんに折り紙教えてもらいたかったなー」
寺子屋の終わったみのりは少し不服そうだ。
何問か間違えてしまったらしく賞をもらえるには至らなかったらしい。

「間違えたところは分かってるの?」
左手を引いてくれている薫から聞かれ、うん、とみのりは頷く。

「分かってるんだけど、うっかり間違えちゃったの」
「そう。それならきっと、次の時には間違えないで、舞に教えてもらえるわ」
「ん……そうかな」
「みのりちゃん次第よ」
「うん、次は頑張る!」
ね、とばかりにみのりは空いている右手ですぐ隣を歩いている舞の手を取った。
だが舞は気づいていない様子でぼんやりと少し前を見たままだ。

「舞お姉ちゃん……」
みのりが薫を見上げる。そっとしておいて、と薫が囁くとみのりはうんと頷いた。
舞は薫に誘われ、みのりたちと一緒に日向屋に行くことにしていた。少し外に出た方が
妙案が浮かぶかもしれないという提案である。

昼ごはんを少し過ぎたこの時間、日は明るく舞たちの歩く道を照らし出していた。
しかし舞は浮かない表情のまま目の前の地面ばかりを見ている。
薫もそんな舞を見て少し表情を曇らせた。

「舞が一番好きなことを描けばいいんじゃないかな」
昼時、甘味処は客が減る。咲、満と薫、みのりは舞を囲むような形で
昼ごはんを食べていた。三人が戻ってきたときにはもう昨夜の子猫は
飼い主に引き取られてしまっていて、あわよくば一緒に遊ぼうと考えていた
みのりは当てがはずれて少し不服そうな顔をしている。

「私が一番?」
咲に向かって舞は不思議そうに尋ねる。
「うん、舞が一番好きなこと」
「でも、その着物を着るのは私じゃなくて……」
これから嫁いでいく人なのよ、と答える舞に、
「でもその人に直接会って話したわけじゃないんでしょ?」
「え、ええ、そうだけど……」
「だったら、舞がこういうのが一番いいって思えるような着物にするのが
 いいんじゃないかな」
「確かにね」
黙って昼ごはんをぱくついていた満が会話に入ってきた。

「満もそう思うでしょ?」
「まあね――さっきの話から着物を作ろうとすると無茶苦茶なことになりそうな
 気がするし、それがいいんじゃないかしら」
「私の、一番好きなこと……」
舞は考え込む表情になった。
少しだけ思考が前向きになったらしい。舞の様子を窺っていた咲と満、薫がほっとした
笑みを顔に浮かべる。

「うん、少し考えてみるね」
舞がようやく笑顔を見せた。

咲と満は午後も店を手伝う―― 一日中店を手伝っているのが日課である。
満と薫がこの家に住むようになった頃には、そんなにお手伝いしなくてもいいのよと
何度も言われたものだったが、今では満は戦力として期待されている節がある。
一方薫はというと、みのりを連れて帰ってきた後は店に出て接客をしたり
たまにある配達をしたりすることが多かった。今日も日向屋自慢の草団子を町外れの
太田屋まで届ける用事があったので、舞を送り方々薫は包みを抱えて日向屋を出た。

「太田屋さんまで一緒に行くわ」
「舞、あなたの家はその途中にあるじゃない」
「少し歩きたいの」
そう? と言うと、薫はそのまま舞と並んで歩き始めた。
舞の家を通り過ぎるとき、いいの? と確認してみたが舞はうんと頷いて
薫についてくる。

「そういえば……」
しばらく歩いたところで舞が声を出す。
「何?」
「薫さんたちが昔住んでた場所ってここのそばよね」
「ええ、そうね……」
薫が静かに足を止める。
「この道を入った奥にある長屋よ」
薫が言う道とは細い路地のことだ。知らずに歩いていたら多分見過ごして
しまうほどの狭い空間である。見ていたらみのりと同じ年くらいの子供がいきなり
走り出てきてそのままどこかに走っていってしまった。

早く行こうというそぶりを薫が見せたので立ち止まっていた舞はまたゆっくりと
足を動かし始めた。
薫がこんな風にするのは珍しい。舞が見ていたいと思うものがあればずっと一緒に
見ているのがいつもの薫だったから、舞は少し驚きながら薫についていった。
日向屋のある辺りと比べて、この辺りは少し暗い感じがある。その原因はどこといって
分からないのだが――立ち並ぶ家々の壁が黒っぽいのは確かだが、それだけではないだろう――、
薫はあまり好きではないのかも知れなかった。

舞はここに住んでいた頃の二人のことはそれほど知っているわけではない。
日向屋にはちょくちょく尋ねてきていたという話だが――だから後々、満と薫は
日向屋に住むことになったのだ――、舞がいくら頻繁に咲のところに遊びに行っていても
二人と出会うことはそんなにはなかった。
満たちと面識ができたのは二人が日向屋に住み込むようになってすぐである。
咲に紹介された時、ひどく緊張しているようにきつい表情を保ったままの二人を
見て少し怖かったことを覚えている。

ふっと笑みをこぼした舞を見て「何?」と薫が不思議そうに尋ねる。
「ううん、何でもないわ。……少し昔のことを思い出したから」
「そう?」
薫はそれで納得したようでそれ以上は何も聞いてこなかった。

「ねえ、薫さん?」
小走りに舞は薫の前に回りこむ。
「な、何?」
「薫さんは日向屋を継ぐの?」
「どうしていきなり」
そんなことを聞くのかと言う薫に舞は、薫さんも満さんも咲たちの家に居るのが
すごく落ち着いているみたいだから、と答える。

「そう?」
「うん、すごく落ち着いて見えるわ。もうずっと前から日向屋にいるみたい」
「そう……かもしれないわね。日向屋のみんなが良くしてくれるから」
満は日向屋の仕事を継ぎたいみたいだけど、と薫は呟いた。

「あ、満さんはそうなの?」
「そうね。あんな風にお団子を作ったりするのが好きみたい」
「うん、そんな感じするわ」
「私は……満や、日向屋のみんなと一緒に居ることができればそれが一番いい」
「ええ……」
薫は珍しく聞かれてもいないことを答えたかと思うとふっと口を噤んでしまった。
二人はしばらく無言で歩き目的地へと着く。薫が屋敷の住人に団子を届けている間、
舞は家の前をぶらぶらと歩いて待っていた。

「団子のたれ新しいのできました!」
「ありがとう満ちゃん!」
店のほうは午後ならではの修羅場に陥ってきている。
満と咲の父母の三人は裏方に回って注文された品を作り、
咲が接客をして回るといういつもの形である。
薫は外回りになることが多いが――みのりと一緒に散歩がてらになることも多かった――
店に居る時は大抵咲と共に接客している。

どちらかというと愛想のいい満の方が接客には向いているようにも思えるが、
実際のところ満は作り手に回る方が好きだった。初めの頃は香ると一緒に店に出ていた
ものだったが、いつの間にか咲の両親を手伝うようになって今では当たり前のように
奥に引っ込んでいる。

手が空くと満も客の注文を取る方に出ることがあったが、注文を取ると言うよりも
商品を食べる時の客の表情を見るのが主目的のようであった。客が笑顔を浮かべていると
安心して仕事を続ける。逆に顔が浮かない表情をしていると――必ずしも商品のせいではなく、
客個人が悩みを抱えている場合がほとんどなのだが――満も、どこか心ここにあらずといった
状態になる。
「満はこの店の仕事を継ぎたいらしい」と薫は思っていたし、
それは日向屋に住む誰もが感じていることであった。

「満、草団子4皿お願い!」
「はーい、すぐ作るわ!」
今日も満は忙しく立ち働いている。


舞の図案が完成したのは数日後のことであった。
営業時間が終わる頃を見計らい日向屋に図案を持ってくる。

「……どう?」
咲とみのり、満、薫が主に使っている部屋でおずおずと紙を開いて見せると、
自然と咲たちの口から歓声が漏れる。

「すっごく、いいよ!」
「そうね、綺麗だわ」
「舞らしくていいわね」
咲たち三人が口々に述べる感想を聞いて舞はようやくほっとしたように笑う。
図案の中では流れるように伸びる木の枝に尾長が悠然として止まっている。
どこか雄大さを感じさせる構図だったが木々に咲く花々が華々しさを添えることも
忘れてはいない。

「いい……かな」
「うんうん、これならきっと喜んでくれるよ!」
咲が請け合い、満たちも頷いたのを見るにつれ舞の表情から憂いの色が消えて行く。
これを持っていく、と舞が立ち上がったのはしばらくしてのことであった。

「じゃあ、私も一緒に行くー」
「い、いいわよ咲、一人で行けるから」
元気よく立ち上がった咲に舞が慌てて手を振る。
「でも舞、どこまで行くの?」
「郷屋さんよ。そんなに遠いところじゃないし、本当に一人で大丈夫。
 みんな明日の朝も早いんだから」
舞はそう言って一人で出て行き、何事もなく郷屋に図案を渡して帰っていった。
すっかり肩が軽くなった。

事件が起きたのはそれから更に数日経ってのことである。
父について患者さんの様子を見てきた帰り、舞は川べりに降りて
持っている紙の束を出すと筆をその上に走らせさらりと目の前の光景を
紙の上に描き写す。
舞にとってはこの行為はごく自然なものだった。生まれてからずっとこうしていた、
といっても不自然とは思えないほど当たり前の行動だ。
川の上をゆっくりと滑る小船を描き、川岸に咲く花を写し、――その間いつものように集中して――、
舞自身が一個の人形にでもなってしまったかのようにじっと筆を動かし続けている。


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