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その日の朝、咲は出てこなかった。
満と薫はお弁当代わりのパンを買いにPANPAKAパンに寄り、レジにいつものように
パンのトレイを置いて会計を済ませていた。
大抵お金を払い終える辺りで、咲がばたばたと飛び出してくるのである。
だがこの日、咲の足音が聞こえてこなかった。お金を払うと満は不思議そうに首を伸ばして
家の中の様子を窺う。薫もとうに、いつもと違うことには気がついていた。
二人の様子にレジの後ろに居た咲のお母さんが気がついた。
「ああ、そうそう。咲ね、今日はお休みなの」
「え!? そうなんですか?」
咲はいつだって元気だ。学校を欠席することはほとんどない。
咲が休むなんて、よほど具合が――と思った満の気持ちは顔に出ていたようで、
「そんなに心配しなくても大丈夫よ」
と咲のお母さんは笑った。
「ちょっと体調を崩しただけだから。今日、病院にも連れて行くつもりだし」
「そうなんですか?」
「ええ、そう。ただ……、」
咲のお母さんは「薫ちゃんも」と手招きして、みのりを待っていた薫を呼び寄せると、
「あのね。満ちゃんも薫ちゃんも」
と真面目な口調になった。
「もし少し熱が出たら、すぐに病院に行かないとだめよ。
 もしかすると咲のがうつっているかもしれないから。
 昨日も咲と一緒に遊んでくれてたんでしょう?
 舞ちゃんにもそう伝えておいてもらえないかしら」
「え、ええ……」
満はそう答えて、薫と顔を見合わせた。

 * * *

「じゃあ咲、今日は休みなの?」
満、薫と舞は学校で舞と合流した。今日は主の居ない咲の席に満が座り、その横に薫が
立って後ろの席の舞を見る。
「ええ。今日病院に行くって」
「熱が出たらすぐ病院に行きなさいって咲のお母さんが言ってたわ。
 私たちにもうつっているかもしれないからって」
満と薫が口々に呟く言葉に舞は顔を曇らせた。
「咲、具合かなり悪いのかしら」
「ちょっと体調を崩しただけだって咲のお母さんは言ってたけど……」
舞にそう言われると、満と薫も心配になってきた。二人にとって、病気はあまり
身近な現象ではない。緑の郷に来て初めて知ったことの一つだ。
深刻な表情になっていく二人を見て、舞が慌てて明るい声を出す。

「きっと大丈夫だよね。学校が終ったらみんなでお見舞いに行かない?」
満と薫に、もちろん異存はなかった。

この日の授業中、舞はぼんやりと咲のいない席を眺めていることが多かった。
いつもなら舞のすぐ目の前には咲の背中がある。
真面目に授業を聞いていたり、落ち着きなく動いていたりいっそ眠っていたり
色々だったが、手を伸ばせばすぐ届くところに咲の背中はあった。
いつも見えているものがそこにないということは、ただそれだけで漠然とした
不安を舞に抱かせてる
――お見舞いに行ったら、今日の分の宿題のことも咲にちゃんと伝えなくちゃ……
そう自分に言い聞かせ、舞は授業に集中しようと努力した。

 * * *

「こんにちはー」
満と薫、舞は学校が終るとすぐにPANPAKAパンに向った。
まず店の方の様子を見てみる。お客さんが二、三人、咲のお母さんにあれこれ質問していたので
店の外で少し待つことにした。待つこと二、三分。お客さんが店の中にいなくなったので改めて
「こんにちは」
と三人は店内に入る。
「あら、いらっしゃい」
「咲、どうですか? お見舞いに行ってもいいですか?」
 舞が代表して尋ねると咲のお母さんは顔を曇らせる。その表情に三人は悪い予感を抱いた。
「午前中病院に連れて行ったんだけど、ただの風邪じゃなかったみたい」
えっと驚いている三人に、咲のお母さんは病名を告げた。大抵四〜五歳くらいまでの
間にかかっていることが多い病気だ。

「咲、かかってなかったんですか?」
「予防注射を打ってたの。だから大丈夫だと思ってたんだけど……お医者さんの
 お話だと、予防注射を打っていても何割かの人はかかってしまうらしくて。
 注射の分、軽くて済みそうではあるんだけど……」
みんなはかかったの? と咲のお母さんは三人の顔を見回した。
ええと、と舞は記憶を辿る。確かお父さんやお母さんが言っていた話では……、
「私も予防注射だけです」
「そう……、満ちゃんと薫ちゃんは?」
二人は顔を見合わせた。もちろん、その病気にかかったことはない―― 予防注射もない。
「かかったことはないです」
そう答えると、そう、と咲のお母さんは頷いた。

「じゃあみんな、咲の部屋には行かない方がいいわね」
えっ、と満と薫が意外そうな声をあげる。
「みんなにもうつすわけにはいかないわ。咲にはみんなが来てくれたって伝えておくわね」
でも……と言いたそうな満に咲のお母さんはにっこり笑って見せた。
「咲も二、三日したら学校に行けるようになると思うわ。
 その時みんなが病気になってたら一緒に学校に行けないでしょう?」
ね? と言われ、満はようやく頷く。
「みんな本当にありがとう。咲のこと気にしてくれて――」
と、咲のお母さんが言ったところで別のお客さんが来た。
「いらっしゃいませ」
咲のお母さんはすぐにそのお客さんの対応に回ったので、三人は邪魔にならないように
そっと店を出た。

「舞」
店を出るとすぐに薫が舞に尋ねる。三人はPANPAKAパンから少し離れた道の木陰に立ち止まった。
「今の話はどういうこと? 予防注射を打っていると罹るとか罹らないとか」
「ええとね、咲が罹った病気っていうのは――」
舞は簡単に説明した。大抵は小さな頃に罹っている病気で一度罹れば二度と罹らないこと、
予防接種を受けていればその代わりになるはずだが咲は罹ってしまったと、自分の
理解していることを話す。

舞の説明を聞いた満と薫はふう、とため息をついた。
「部屋に行っただけでうつるようなものなの?」
満の質問に舞は悩みながら答える。
「私もそんなに詳しいわけじゃないけど、幼稚園の時は誰かが休んだと思ったら
 数日中に五、六人休んだような覚えがあるわ」
「そう……」
満はがっかりしたような表情でPANPAKAパンの二階、咲の部屋を見やった。部屋の中の
様子は窺えない。
勝手に入るのは簡単だ、だが咲のお母さんに言われたことを守らないのも気が引けた。

とにかくこれ以上はどうしようもない。咲のお見舞いは諦めて、では何をするかと思った時、
満も薫も舞もいい考えが思い浮かばなかった。というよりも、咲のことが頭を占めていて
他のことを考えることができなかった。
「あれ、舞?」
学校の終った和也が通りかかる。浮かない表情の三人を見て、「……どうかした?」
と不思議そうな表情を浮かべた。
そういえば咲ちゃんがいないな、と和也はきょろきょろと辺りを見回す。
咲がどこかからか走ってくるということもなかった。
「あのね、咲が……」
と、ぽつぽつと舞が説明を始める。咲が病気になったという話を聞いて「珍しいな」と
和也は感想を漏らした。

「だから咲の部屋にも入れなくて……」
と舞ががっかりした顔をすると「あれ、みんな罹っていないの?」と和也は意外そうだ。
満と薫は「ええ」と短く答えた。罹っていないのには違いない。
「お兄ちゃん罹ってたの?」
「うん。僕の時結構症状が重かったから、それで舞にはすぐ予防注射を
 受けさせるってことになったんだよ」
「そうだったの」
舞は小さかったので良く覚えていないが、そういう経緯があったらしい。

「じゃあ、ちょっと咲ちゃんの顔見てこようかな。舞、何か咲ちゃんに伝えることある?」
和也は自転車のサドルに乗りなおすと舞の言葉を待つ。
「あ……うん、えっと」
咄嗟に言われるとすぐには言葉が出なかった。
「えっと……お大事にって」
「了解。伝えとくよ」
そう答えると、ぐっと足に力を入れて和也は自転車をスタートさせた。
舞がその後ろ姿を見ながら複雑な表情を浮かべているのに満も薫も気がついていた。

 * * *

「ただいま、舞」
「お兄ちゃん」
和也は日が暮れてから帰ってきた。舞は朝方お母さんが支度していった夕食を
温めようとしていたところだったのでちょうど良かった。

「咲、どうだった?」
手を止めて尋ねると和也は制服のジャケットを脱ぎ捨ててどさりと
椅子の上に腰掛けた。
「うん、思ったより元気だったよ。本人はあんまり自覚症状ないみたいだね」
「そうなの」
少し安心して舞の声が明るくなる。
「やっぱり予防注射してたってのは良かったんじゃないかな。
 本当に普通の風邪くらいにしか感じてないみたいで、寝てるの退屈だって。
 みのりちゃんも部屋に入れないから漫画や雑誌読むくらいしかすることないんだってさ」
そう言って軽く笑うと、立ち上がって冷蔵庫の牛乳を取りに行き一口飲む。
ふう、と息をついて、
「だから結構話し込んじゃったよ」
「話し込んだって、何を?」
「うん、色々だよ。部活のこととか学校のこととか、舞のこととか」
――お兄ちゃん、私のことで変なこと言ってないわよ……ね?
舞は気になったが、ストレートに聞くのは憚られたので言葉に詰まった。
和也はそれには気づかなかったようで、
「ああ、そうそう。舞にお願いがあるって」
「何?」
考え事をしていた舞は驚いて聞き返す。
「うん、花咲さんたちに連絡しておいてほしいってさ。咲ちゃんの病気のこと」
「あっ……」
舞はぽかんと口を開けた。咲の病気に動転してすっかり忘れてしまっていたのだが、
明日は花咲つぼみと来海えりか、フェアリーパークで新しく友だちになった二人が
夕凪町に来ることになっている。

「ちゃんと連絡しておかなくちゃ」
口に出して自分にそう言うと、
「そうそう、咲ちゃんもそう言ってた。それで花咲さんたちが来たら、町を案内してあげてって言ってたよ」
和也は牛乳を飲み干すと、
「温めるんだろ?」
と舞の前にある夕食を取り電子レンジにセットした。



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