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第二十話 黄泉の国巡り

「手を離さないで!」
せつなとりんは暗闇の中を猛烈な速さで落ちていました。せつなの手が離れそうに
なるのをりんは必死でつなぎとめます。どのくらいの時間が経ったのか、二人は
ようやくどさどさと固い地面の上に落ちました。りんはぱんぱんと手を払うとすぐに
立ち上がります。せつなも腰を抑えながら立ち上がりました。

「ひっ」
とりんが軽い悲鳴のような声を上げると軽く身を傾け何かをよけるような仕草をします。
「どうしたの?」
せつなが不思議そうに尋ねました。りんは声を震わせて答えます。
「い、今人魂がここをすうって横切っていったじゃない」
「え?」
せつなは首を傾げます。りんが何を言っているのか良く分かりませんでした。
「えっ、って……、ひょっとして、見えないの?」
ほら、あそこにもあそこにも、ぼんやりと人魂が浮いてるじゃない。あの一つが今ここを、
とりんは言いましたがせつなは首を振りました。
「何も見えないわ」
「え……」
りんにとってここは死んだ物の怪の気配がうようよしている場所でしたがせつなに
とってはただ暗くてひんやりとした地下空間でした。
「え、本当に何も見えないの?」
「ええ。地面や岩は見えるけど」
ずるい。とりんは思いました。何も見えないなら、何も怖くないに違いありません。
りんとしてはあちらこちらに見える物の怪の亡者の姿を見ながらも逃げ出さないように
必死で頑張っているのに、なんだか損をしているような気分でした。

「それでどこに行けばいいの?」
「あ、うん……」
りんは左右を見回すと、
「こっちが奥だから、森の主になるような力のある物の怪ならこっちにいるはず」
と左側を指差します。
「じゃあ、行きましょ」
とせつなはさっさと歩き始めました。
「ま、待ってよ」
りんが慌てて後を追いかけます。ここで置いていかれてはたまりません。
せつながその声に振り向きました。
「……ひょっとして、怖いの? お化けなのに?」
「お化けだって怖いものは怖いわよ!」
やけになったようにりんが怒鳴ると、せつなはきゅっとりんの手を握りました。
「な……何?」
「怖いときは手を繋げばいいってラブが教えてくれたわ」
「そ、そうなんだ……」
「行きましょう」
せつなとりんはてくてくと奥に向けて歩いていきました。せつなには岩と地面しか
見えませんでしたが、りんは時々びくりと身を震わせたり驚いたような声をあげたりして
いましたから、きっと色々なものが見えていたのでしょう。

せつなには何も見えませんでしたが、歩いていくごとにだんだん気温が下がっていくのは
分かりました。ひんやりとした空気が奥の方から漂ってくるようです。
「……どうしたの?」
りんが足を止めたのでせつなも止まりました。りんはせつなとは逆の方を見ていました。
「アクダイカーンって物の怪を探しているんだけど知らない?」
震える声を抑えるようにしながら誰かに聞いています。せつなには、りんが空中に向って
話しているようにしか見えませんでしたがきっとそこに誰かいるのでしょう。
「あ、この奥? ありがとう」
りんは丁寧にお辞儀をするとまた歩き始めました。
「誰だったの?」
「人食い花の霊みたい。アクダイカーンのいた森の近くに住んでたんだって……」
「そんな霊がいるの!?」
「いるよ」
当たり前のようにりんは答えると、岩壁に大きく開いた穴の前でぴたりと足を止めました。
「ここ……だね」
中を覗き込むまでもなくりんはそう直感しました。中から流れ出てくる巨大な気配は、
一つの物の怪の森の主として君臨していた物の霊にふさわしい物でした。
これだけ巨大な物の怪はそうそういないに違いありません。せつなでさえ、
中から漂ってくる冷気がこれまでの物とは全然違う冷たさを帯びていることに気がついていました。

「……」
ぎゅっと手を握りなおすと、二人は恐々穴の中に入って行きました。せつなは背筋が
ぞくぞくするような感覚を覚えました。この感覚は久しぶりでした。

穴の中に入ってみると、そこは広い空間になっていました。少し進み、きょろきょろと
周りを見回して――りんは、自分の視界を埋めている真っ黒な影がアクダイカーン
そのものであることに気がつきました。アクダイカーンの周りには紫の炎がいくつも
灯っています。何体もの霊もアクダイカーンの周りを飛び回っていました。
「何用だ」
低い声がりんの身体に響きました。その声はせつなにも聞こえました。
「……満と薫の代わりに来ました」
丁寧な口調でりんは答えます。下手なことを言おうものならすぐにでも消滅させられて
しまいそうな緊張感がりんとせつな、二人を包んでいました。
「満と薫?」
「あなたの森にいた、山猫の満と山犬の薫です」
「あの者たちか。山火事から逃げおおせたようだな」

アクダイカーンに話が通じたようなのでりんはひとまず安心しました。
「二人は今、命の危険に晒されています。あなたの力を借りれば二人を助けることも
 できるんじゃないかと思って……」
そう説明し、りんはごくりと唾を飲み込んでアクダイカーンの返事を待ちました。
「どういう理由でそうなったのだ」
アクダイカーンの言葉は地を這うように響きます。どこまで説明したものかりんは迷いましたが、
「あなたを甦らせる方法があると騙されて……、あなたの幻から渡された
 宝石みたいなのを持っていたんです。そうしたらそれが爆発して……」
「……未熟者が」
アクダイカーンの声は冷たいものでした。りんはその言葉に無性に腹が立ちました。
「二人はあなたを甦らせようとしてたんです。無茶をしてでも」
「我の名を騙った者の名は?」
アクダイカーンは言い返したりんの言葉には関心がないようでした。
「郷屋という人です」
「郷屋か」
低いアクダイカーンの声がりんの腹に響きました。アクダイカーンは巨大な右手を僅かに
動かします。赤と青、二つの光がりんの元に近づいてきます。りんがそれを捕まえると、
それは満と薫が首から提げていた宝石に良く似ていました。
いえ、きっとこれが本物で以前持っていたのが偽物なのでしょう。
「……これは?」
りんが尋ねると、
「満と薫への餞別だ。持っていくがいい」
とアクダイカーンは答えました。
「餞別?」
「我が甦ることは最早あるまい。二人は我が森の者たちであったが、
 これからは森の外で生きていかねばならぬ。二人に伝えよ。因果は巡る。
 自分のしたことは必ず返って来ると」
りんと繋いでいるせつなの手がびくりと震えました。りんはアクダイカーンに
どういう意味か尋ねようとしましたが、
「去れ」
とアクダイカーンは言い放ちます。その言葉は重々しく、言い返す余地が一切
ありませんでした。りんとせつながまごまごしていると、
「直ちに立ち去れ!」
アクダイカーンの目が爛々と赤く輝きました。りんとせつなはくるりと後ろを向くと
そのまま駆け出しました。

アクダイカーンのいる洞穴を走り出て、二人は少しの間立ち止まるとはあはあと
荒い息を整えました。りんは手に持った宝石を見やります。赤い石と青い石は
この黄泉の国の暗さの中でも輝きを失ってはいませんでした。

――満と薫にこれを渡したらどうにかなるのかな……、
りんはそう思いました。森の主がわざわざ渡してきたものですから、
何の意味もない石だとは思いたくありませんでした。
――よし、帰ったら二人にこれを……
ぐっと宝石を握りなおし、りんはせつなを見やります。
せつなはどこか遠くを見ていました。何かを探しているように見えました。
「どうしたの?」
りんの言葉に、せつなははっとりんを振り返ります。
「誰か探している人でもいるの?」
「……、」
せつなは一瞬口を開きましたがすぐに閉じました。何といえばいいか分からないようでした。
「……もしも人間を探しているんだったらここにはいないよ。ここは物の怪が来る場所だから」
「そうね……、」
せつなの口調はどこか未練がましいものでした。人間を探しているんだなとりんは
直感しました。
「こっちへ」
りんは少し離れた場所へとせつなを連れて行きました。足元には黒々とした川が流れて
います。最近死んだばかりの物の怪たちが、続々と向こう岸から無言でこちらに渡って
きます。
「普通に黄泉の国に来る時はこの川を渡るんだよ。今回は別のところから来たけどね」
そう説明しながら、りんはその川の更に向こう側を指差します。
「向こう岸の奥に、もう一本川があるの分かる?」
せつなは目を凝らしました。暗いので分かりにくいのですが、確かに更に向こうに
もう一本黒い川があるのが見えます。
「あっちの川が、生きてる人と死んでる人を隔てる川だよ」
「……私が死んだらあの川を越えるの?」
「そう。あの川を越えて黄泉の国に入れば、もう戻れないんだって」
「……」
せつなは黙って、川の向こうへと目を向けていました。その表情はひどく悲しそうでした。
「……向こうに、誰かいるの? 知ってる人が」
「……分からないわ」
せつなは首を振ります。不思議な答えにりんはわずかに首を傾げました。
「昔一緒に行動していた人たちがもしかしたらいるかもしれないの」
「家族?」
「違うわ」
「友達?」
「それも違うわ」
「……」
取り付く島のないせつなの答えにりんは黙りました。これ以上この話を続けない方が
いいような気がしたのでした。……しかし今度は逆にせつなの方が口を開きました。

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