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第十八話 カタストロフ

――やれやれ。逃がしてしまいましたか……
その日の夜、邸宅に帰ってきた郷屋は考え事をしていました。あれから再びほのかの
家に行ってみたのですが、家はもぬけの空でした。

――まあ、逃げたとは言っても子ども二人と赤ん坊ですから、限界はありますがね。
それほど遠くに逃げられるはずがありません。郷屋はそう考えていました。
彼には絶対の自信があります。自分が本気を出しさえすれば手に入れれらないものなど
ないという自信でした。

自室にしている狭い部屋に腰を降ろし、ふうと息をつきます。それから立ち上がり
別室で熱いお茶を淹れてくると部屋に戻って一口啜ります。
「うん、このお茶は中々ですね」
そう独り言を言って満足すると、さてとばかりに彼は部屋の片隅に置いた四角い箱に
ついた大きなつまみを捻りました。外側は木でできていましたが、中身の良く見えない
箱でした。少しずつ捻っていくと箱からざあざあと音が流れてきます。

その音を聞きながら彼は更に、横についている小さなつまみを捻っていきました。
箱から漏れ出してくる雑音が次第に言葉になっていきます。はっきりと声が聞こえる
ようになったところで郷屋は手を止め、にやりと笑みを浮かべました。

箱から聞こえてくるのは満と薫の声です。深刻そうな声音で何事か話していました。
――どうせ今日も、ろくな話はしないのでしょうが……
郷屋は半ば諦めながら、習慣どおりに二人の声を聞き始めました。

……なぜ、二人の声が遠く離れた郷屋の部屋に届くのでしょうか。その秘密は、
二人が授けられた宝石にありました。あの夜、二人が宝石を受け取ったのを見届けた後、
郷屋は毎夜この機械からの声を聞くようになりました。あの宝石が拾った周囲の音は
この機械に届けられてくるのでした。といって、今まで彼の求めているような情報はなく、
正直空振りだと思っていたのでしたが……、今夜こそは彼に耳寄りな情報があったのでした。


「なぎささんほのかさん、ちょっといいですか?」
夕食後、咲たち四人はなぎさとほのか、ひかりの三人の部屋を訪ねていました。
満腹になって布団の上で大の字になって寝転がっていたなぎさがわっと起き上がります。

「どど、どうぞ!」
布団の上に座り直してなぎさが答えると、襖を開けて四人が並んで入ってきました。
ほのかはひかりの顔を拭いていましたが、揃って入ってきた四人を見て不思議そうに
わずかに首を傾げます。
「お邪魔します」
「え、えーと適当に座ってよ。……って、私の部屋ってわけじゃないけど」
こういう時なんて言えばいいんだろうと思いながらなぎさは座るように促しました。
なぎさとほのか、それにひかりと向かい合うようにして咲たち四人は正座します。
ちらちらと四人はお互いに目配せをすると、代表として薫が口を開きました。

「実は、その……」
「う、うん?」
普段、薫は何事にも動じることがなさそうに見えます。しかし今ばかりは、ひどく言葉に
迷っているように声も小さく、なぎさとほのかはじっと耳をすましていました。

薫は一度言葉を止めると何かを考えるような表情を見せ、それからまた
「実は……」
と言葉を搾り出します。二、三度それが繰り返されたのでなぎさとほのかの表情も次第に
不安そうに陰っていきました。これほどまでに言うのを躊躇うこととは、尋常ではないと
二人にも思えたのでした。

「実は……ひかりさんのことで」
「ひかり?」
やっと薫が話を進めました。薫の隣で満がふうと息をつきます。
「ひかりさんの力を借りたいんです」
「ひかりの力……?」
なぎさが薫の言葉を繰り返します。
「……ひかりさんのどんな力が必要なの?」
ほのかが逆に問い返します。俯きがちだった薫が目を上げました。
「分かりません」
「どういうこと?」
ほのかの口調は優しいものでしたが真剣でした。ほのかもまた、薫から何かを聞きだそう
としていました。
「……どういう理由で、ひかりさんの力が必要なの?」
ほのかは質問を変えます。これには薫は答えられました。
「私たちの……私と満が昔住んでいた森と、その主を甦らせるために」
「ひかりさんがそのことに何か関係しているの?」
「分かりません、でも……『シャイニールミナス』の力があればできるらしいんです」
「しゃいにー……?」
なぎさが聞き返しました。
「……人間の赤ちゃんの姿をしていて、光り輝いているそうなんです」
満があの夜の話を説明すると、なぎさとほのかは黙ってひかりに目をやりました。
ひかりは二人の後ろですやすやと寝ています。その表情は、まるで何も怖いものを
見たことがないかのように安らかでした。
「ひかりさんは、その『シャイニールミナス』なの?」
「はっきりしたことは私たちにも……、」
満と薫の言葉はどこまでも漠然としていました。二人は、自分たちが曖昧な情報しか
持っていないことに改めて気がつきました。

「ねえ」
なぎさが座り直し、背をぴんと伸ばして満と薫、咲と舞に正対しました。
咲たち四人も姿勢を正し、なぎさの言葉を待ちます。
「もしここでひかりを渡したら、満と薫はひかりをどこに連れて行くの?」
「それは……分かりません」
薫は正直に答えました。なんとも頼りのない話でしたが、
他に答えようもありませんでした。
「そう。……ね、満さん薫さん」
それを聞いたほのかがぐっと身を乗り出します。
「ひかりさんは確かに不思議な子よ……、あなた達が言うような不思議な力を
 持っているのかもしれないわ。でも私となぎさにとってはひかりさんは赤ちゃんなの。
 だから……、ひかりさんが痛い目や危ない目に遭ったりしないということがはっきり
 しないと、あなた達の話には……」
ほのかの言葉を聞いてなぎさがうん、と頷きます。
「それで、その……アクダイカーン、だっけ? その人のために大体どんなことをすれば
 いいのか分かったら、私たちもひかりと一緒について行くよ。保護者だしさ。
 だからまず、ひかりがどんなことをすればいいのかそのアクダイカーンさんに
 聞いてきて貰えないかな」
「……分かりました」
満と薫は軽く一礼しました。なぎさとほのかの言っていることは尤もだと思いました。
次は自分たちが動く番です。
「二人とも、そんなにかしこまらなくってもいいよ。私たちもここにお世話に
 なってるんだし、ひかりだって二人の為にきっと喜んで、できることはすると思うよ」

「……それは素晴らしいですなあ」
低い男の声が部屋の中に響きました。誰? とその場にいた六人が互いに顔を見合わせ、
辺りを見回します。
「あ……っ!」
満が床を指差しました。濃い紫色の波紋のような物が床の一点に浮かび上がったと思うと、
じわりじわりとそれは大きくなっていきました。満たちの見ている目の前で波紋の中心
から頭が伸び、やがて人の姿が床の中からゆっくりと浮かび上がりました。

「郷屋!?」
「お久しぶりですなあ満殿に薫殿。それにそちらのお二人も。
 さて今日は、ひかり殿を頂きに参りました」
郷屋は舌なめずりするようになぎさとほのか、ひかりを見ました。
「ほのか!!」
ほのかがひかりを抱き上げるのと同時になぎさがほのかの肩を抱くようにして郷屋に
背中を向けて逃げようとしました。しかし郷屋は空中に浮かび上がったかと思うと
逃げようとする二人の前に回りこみます。
「おやおや、どこへ行かれますか?」
「郷屋、なぜあなたがここに!?」
満と薫がなぎさとほのかを挟むようにして郷屋に詰め寄りました。
「あなた方が教えてくれたんじゃないですか」
「どういうこと!?」
「あなた方がなぎさ殿とほのか殿を見つけてくれたから私はここに来たのですよ。
 アクダイカーンのまぼろしを見たあなた方が本当に真に受けてシャイニールミナスを
 探してくれるとは思いませんでした」
「まぼ……ろし……!?」
「どういうことよ、郷屋!?」
満はひかりを抱いたほのかの腕を掴むようにして強引にほのかを横によけると、
ほのかと郷屋の間に割り込むようにして郷屋を睨みつけました。なぎさが満の脇を
すり抜け、ほのかのそばに駆け寄ります。
「言ったままですよ、満殿に薫殿。あなたたちはしっかりと役目を果たしてくれました。
 お疲れさまでした」
ねぎらいの言葉とは裏腹な嘲笑を隠しもせず、郷屋はどす黒い闇色の球を自らの
右手の中に呼び出し満と薫に投げつけます。
「満!」「薫さん!?」
今まで、どうしようかと思いながら状況を見ていた咲と舞が満と薫に飛びつき、
放たれた闇から避けさせますが炸裂したそれは四人の身体を吹き飛ばし襖を破いて
廊下の壁へと叩き付けます。耳をつんざくような轟音になぎさは思わず耳を手で覆いました。

「あ……」
壁に大穴を開け倒れこんだ四人の姿を見てなぎさの口から言葉が漏れます。
それは全くなぎさの意図しないもので、ただただ目の前の光景が想像を絶していたから
出てしまったのでした。
「シャイニールミナスは頂いていきます。何、怖い目には遭わせませんよ。
 あなた方がついてくる必要もありません」
「い……いや……」
ほのかはひかりを抱いたままがたがたと震えていました。逃げることもかなわず、
目は郷屋のにやにやとした顔にひきつけられながら内心は恐怖に凍り付いていました。
「さあ、お渡し下さい」
郷屋の手がひかりに伸びます。
「い……」

「待ちなさいっ!」
満と薫が壊れた壁の中からようやく立ち上がりました。二人の身体にはあちこち傷が
ついていましたが、視線は強烈に郷屋に注がれていました。郷屋はうるさそうにそちらに
目をやります。
「しぶといですね。あなた方にはもう用事はありませんよ」
「あなたが何を考えているかは知らないけれど、ひかりさんはあなたには渡さない!」
「しつこいですねえ。もう用事はないと言っているのに。止むを得ませんね」
ぱん、と郷屋は手をたたきました。それは何かの合図ででもあるかのようでした。
「何……っ!?」
満と薫が首から提げていた宝石が怪しく輝きました。それが発する熱はまがまがしく
二人の服を焦がしました。
――アクダイカーン様が幻なら……
――この宝石もニセモノ……!?

「みんな、私たちから離れて!」
二人は同時に叫びました。宝石はもう限界に達していました。二人はその場に
うずくまり宝石を自分の身体で包み込むように隠します。
「満!」「薫さん!?」
咲と舞は満と薫に駆け寄ろうとしました。「来ないで!」と二人が同時に叫びます。
郷屋がにやりと笑うとひかりに手をかけました。ほのかが顔を蒼白にして、それでも
腕に力をいれ、ひかりを放すまいとします。なぎさは郷屋の手をなんとかひかりから
引き剥がそうとしました。爆発音が響きました。辺りが一瞬閃光に包まれ、
なぎさとほのかの視界は真っ白になりました。郷屋の手に闇が生まれました。
闇はなぎさとほのかの身体をも吹き飛ばすと、郷屋はひかりを抱いてその姿を消しました。

なぎさにはぼんやりと満と薫の姿が見えました。二人を中心にして床を穿つように穴が
開いていました。二人が首から掛けていた宝石は郷屋の意思によって爆発し、
二人はその衝撃を自分の身体で防ごうとしたのでした。それでも爆発の衝撃は
抑えきれなかったらしく、部屋はほとんど原型を留めないほど壊れてしまっていました。
その真ん中で、満と薫はぴくりとも動きませんでした。

なぎさもほのかも、身体を動かすことはできませんでした。恐怖と驚愕で、
二人の身体は固まってしまったかのようでした。それは廊下にいた咲と舞も同じでした。
先ほどの轟音が嘘のようにこのあたりは静まり返っていました。

「どうしたのっ!?」
血相を変えた祈里や美希、のぞみやりんが駆けつけてきたのは爆発が起きてから
すぐのことでしたが、なぎさや咲には永遠とも思える長い時間でした。
「な……何、これ!?」
母屋にいたのぞみ達には離れの光景を見ても何が起きたのか訳が分かりませんでした。
駆けつけた四人が一瞬全員固まります。
「どうしたんですか、何の音ですか!?」
塗り壁になって森の入り口を守っていたうららでしたが、流石に異変の大きさに
飛び込んできました。
「……満さん、薫さん!!」
最初に動きを取り戻したのは祈里でした。大穴のそこに横たわる満と薫の異常に
気づくと即座に穴を降り二人の様子を見ます。
「……!」
近寄ってみれば、すぐに二人の状況が急を要していることはすぐに分かりました。
「美希ちゃん! のぞみちゃん! 布巾か何か持ってきて! あと、私が寝てる部屋に
 おいてある袋に薬一式が入ってるからそれも!」
穴の底から切羽詰った声で呼びかけると、「分かった!」とのぞみと美希は母屋に戻りました。
祈里の声を聞いて咲と舞は目を覚ましたかのように表情を変えます。
土気色だった二人の顔に、いつものような赤みが戻ってきました。
「満と薫は!?」「どんな!?」
咲と舞は慌てて穴の底、祈里のそばに駆け寄り、うっと声を上げました。
穴の底に降りると、はっきりと鉄の匂いがします。祈里は満と薫をゆっくりと仰向けにしました。
「満!」
「薫さん!」
咲と舞の声にも満と薫はぴくりとも動きませんでした。
「満と薫、どうなるの?」
二人の身体を仔細に診察している祈里に咲が恐る恐る尋ねます。
「……分からないわ」
祈里の声ははっきりと深刻でした。咲と舞はその言葉の重さに息を飲みます。
「とにかく止血をして、それから二人を上に上げて……後は様子を見るしか……」
「持ってきたよ!」
のぞみの声に祈里は視線を上に向け、家中からかき集めてきたありったけの布巾を受け取ります。
「満さんの身体……上半身の方を少し持ち上げてくれる? なるべく静かに」
咲と舞がそっと満の身体を持ち上げると、祈里は手早く布巾をその下に敷いて再び満を
寝かせ、止血を試みました。白い布巾がすぐに真っ赤に染まっていきます。
一応の止血を終えると、咲と舞、祈里は満と薫を静かに穴の中から運び出し、
母屋の一室で寝かせることにしました。

「なぎささん、ほのかさん……大丈夫ですか?」
咲たちが満たちの方にかかりきりになっている間、りんとうららはなぎさとほのかを
心配していました。二人とも怪我もしていましたし、それに何より表情が虚ろでした。
「……ひかりちゃんは?」
りんが尋ねると、ほのかの目に一瞬怒りのような色が煌きました。
「ひかりは……郷屋が……連れて行ったよ……」
なぎさが力なく答えます。
「ええっ!?」「……どうやって……」
うららの顔からすうっと血が引きました。うららはなぎさ達の話を聞いてからと言うもの、
ずっと森の周りを塗り壁状態になって守っていたのでした。うららが本気を出せば、
身体を大きく伸ばして森の周りを完全に囲うことができます。誰も森の外から中に
入った人はいないはずなのに、現実はこうなっていたのでした。

「とにかく、なぎささんもほのかさんも……」
りんが手を伸ばし、なぎさはその手を弱弱しく掴むとやっと立ち上がりました。
ほのかにうららが手を差し伸べましたが、ほのかは座ったまま動きませんでした。
「ほのか……」
なぎさもほのかに手を伸ばしました。ほのかはやっとなぎさの手に手を伸ばしました。
全員が離れから母屋に移動したのはかなり時間が経ってからのことでした。

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