前へ 次へ

「そっちの二人も物の怪なんでしょ? なんか緊張してるみたいだし、家のほうがいいでしょ」
アカネさんは三人を部屋に入れて座布団を勧めるとお茶を淹れ始めます。
「すみませんアカネさん」
「いいのいいの」
アカネは笑って祈里に答えました。祈里の横で舞と薫はふーっと身体を伸ばしていました。
やはり人間の町にいるのは緊張するもので、疲れがたまっていたようでした。
「それで……」
アカネがばらばらの湯飲みに入れたお茶を四つ持ってきます。出されるままに三人は
それを飲みました。温かいお茶を飲んでいると、薫と舞は気持ちが落ち着いてくるような
気がしました。部屋も狭いものの、綺麗に片付けられていて居心地が良いのでした。
「で、聞きたいことって?」
再度アカネが促すと、祈里が「ええと」と話し始めました。
「実は、ちょっと今行きたい場所があるんです」
「行きたい場所?」
「ええ、四つ葉町っていう町の近くなんですけど……四つ葉町への行き方、分かりませんか?」
「ああ、四つ葉町? 行ったことはないけど、えーと確か……」
アカネは立ち上がり部屋の隅に置いた抽斗を漁り始めます。しばらくしてから戻ってきた
アカネの手には古ぼけた地図が握られていました。
「昔の地図だけど、多分そんなには違わないはずだから」
アカネはそう言いながら地図を開き、「えーっと」と目を凝らします。墨の色は大分
薄くなっていて、目が慣れるまで読み取りにくいものでした。
「ここがこの町みたいですね」
舞がおずおずと地図の一箇所を指差します。そこには「若葉台」と書いてありました。
「あ、そうそう! つまりこっち向きってことか」
アカネは地図をぐるりと九十度回転させました。
「うん、この道が屋台出してる大通りね。で、この道をずーっといけば」
祈里に向ってアカネの手が伸びてきます。その指は大通りの隣の細い道を辿っていました。
「結構急な坂道だけど四つ葉町って町にいけるはず……あ、ほら、書いてある」
薄くなった「四つ葉町」という文字をアカネの指が撫でます。
「行き方は簡単そうですね」
祈里はそれを見てにっこりと笑います。
「その地図大きいから、意外と時間かかると思うけどね……三人で行くの?」
祈里が頷くと、「そっか」とアカネは残念そうでした。
「じゃあしばらくブッキーの踊りはなしかあ」
「あ、ごめんなさい」
「いいっていいって」
アカネは笑って手を振りました。
「元々、ブッキーは時間があるときにって約束になってたんだし。あ、でも楽しみにして
 いる子たちがいるから戻ってきた時ははりきってやってね」
「はい!」
祈里は元気良く答えました。……そして、舞と薫が不思議そうに自分のことを見ているの
に気づきます。
「どうしたの?」
「踊りって何?」
薫が短く尋ねました。途端に祈里の顔がぱあっと赤くなります。ますます不思議そうに
舞と薫は首を捻りました。

「ブッキー、いっつもうちの店の前で踊ってくれているんだよ。イタチ――おっと、フェレットの格好で」
「えっ!?」
舞と薫が同時に声を上げて祈里を見ました。祈里は恥ずかしそうに首を縮めます。
「お手伝いってそういうことなの?」
「え、ええ……」
小さな声で祈里は舞に答えました。舞と薫が驚いているので、いかにも自分が
似合わないことをしているのだと久しぶりに自覚したような気がしました。

「ブッキーの友達の美希って子知ってる?」
いたずらっぽい表情でアカネが尋ねます。舞と薫が頷くと、
「その子が勧めたらしいんだけどね。店の前で踊って客引きしたらって。
 ……で、大当たりってわけ」
「可愛くなりそうですね」
「そりゃあ、もう」
アカネはどこか自慢げに舞に答えます。
「最初は結構照れてたみたいなんだけど、乗ってくるとそりゃもう大人気で。
 時々美希も見に来てるけどね」
「もう、アカネさん……」
あははとアカネは笑いました。
「本人が嫌がってるみたいだし、もうやめよっか。ブッキー、その地図貸してあげる。
 四つ葉町に着くまで自分で持ってた方が安心でしょ?」
「あ、ありがとうございます」
祈里の顔はまだ真っ赤でした。

    * *

「あれ、どうしたんだろう」
ひかりをおぶったなぎさとほのかがアカネの屋台の前に着いたのは、アカネがいなくなった
すぐ後でした。いつも人で賑わっているたこ焼き店の前に今は人っ子一人いません。
といって店が出ていないわけでもなく、簡単に片付けられた状態でそのままになっていました。
「今日はお店、途中で閉まったのかしら?」
「……って言っても、何か中途半端じゃない?」
なぎさとほのかは口々に言い交わしながらアカネのお店の周りをぐるぐると回ります。
隣で同じように屋台を出している男が二人の様子に気づきました。

「アカネなら、さっき家に帰っていったぞ」
「家?」
「どうしてですか?」
「さあ? なんかお前さんたちと同じくらいの年恰好の女の子たちが来たら家に帰って行ったな」
「……ありがとうございました」
お礼を言って、なぎさは首を捻りました。アカネさんが店を空けるのはそうないことです。
よいしょ、と姿勢を直してなぎさは背中のひかりの位置を直します。
「……何かアカネさんに会いたくなってきちゃったな。ちょっと行ってみようか」
今日はどうしてもアカネさんに会わなければいけない用事があったわけではないのですが、
会えなくなるとなぎさは急に顔を見たくなってしまったのでした。
「ご迷惑にならないかしら?」
慎重にほのかは答えます。大丈夫大丈夫、となぎさは軽く答えました。
「大事そうな話してたらすぐ引き返せばいいよ。ひかりもアカネさんに会いたいよね?」
背中のひかりに言うと、ひかりはご機嫌そうに笑い声を上げます。
「ほらひかりも会いたいって言ってるし」
「もう」
困ったわね、という表情をほのかは浮かべましたが、結局なぎさの言うとおりに
アカネさんの家まで行ってみることになりました。


「アーカーネーさん!」
長屋に着くとなぎさはすぐに声を張り上げてアカネの部屋に飛び込んでいきました。
ここの長屋の住人は――普段のアカネのように――昼間は仕事に出ていてほとんど
いませんから、多少はうるさくしてもそんなに迷惑ではないのでした。
「なぎさ? ほのかも……」
アカネさんは目を丸くしてなぎさとほのかを見ました。
「どうしたの? ……ひょっとして店の方で何かあった?」
なぎさは大きく首を振ります。
「アカネさんに会いたくなっちゃったんです、何となく。ひかりも久しぶりの散歩だし……」
「おっ、ひかり熱下がった?」

アカネさんは身体を伸ばすようにしてなぎさの背中のひかりを見ました。
ひかりが熱を出しているという話はなぎさから何度も聞いていたのでした。
「ええ、もうすっかり」
ほのかが静かに答えます。――そしてちらりと、祈里たちを見ました。
舞と薫はこの突然の来客に驚いてはいましたが、黙って成り行きを見ていました。
祈里はなぎさのことを知っていましたから――もちろん、なぎさはここにいる女の子が
いつも踊っているフェレットの「ブッキー」だとは気づくはずもありませんでした――、
なぎさの様子を見て静かに微笑んでいました。

「お客さんみたいだから、ね、なぎさ」
もう行きましょう――とほのかが促すと、祈里が「あ、私たちはもうアカネさんとのお話
済みましたから」と立ち上がります。
「アカネさんありがとうございました。私たちはこれで。えっと、たぶん数日したら帰ってきます」
なぎさとほのかにアカネを譲って祈里と舞、薫は家を出ようとしました。
「え、あれ? えーっと、私たちアカネさんに用事ってわけじゃないから私たちが出るよ」
気を遣われたのを察してなぎさが追いかけるように立ち上がります。
「あー、だったらなぎさ。暇なんでしょ? この子たち送ってってくれない?」
「え?」
アカネは祈里の手から地図を渡してもらうと、
「この子たちこの道通って四つ葉町ってところまでいきたいんだって。だからこの道まで
 送ってってほしいんだけど。細い道だし、見落とすといけないから」
「あー、」
なぎさは納得したように答えます。

「それじゃ行こっ!」
地図を折りたたんで手に持つと、なぎさは早々に出かけようとします。
「あの、送ってもらっていいんですか?」
と祈里が慌てて聞くと、なぎさは「もっちろん! まかせておいて」とどんと自分の胸をたたきました。
「三人ともアカネさんのこと知ってるの?」
外に出てのんびりと歩きながらなぎさは尋ねます。

「え、ええ……」
祈里は少し戸惑いました。あなたのことも良く見ています。と言うわけにもいかず、
「あの、赤ちゃん可愛いですね」
と話を逸らします。それを聞いてなぎさは分かりやすく満面の笑みを浮かべました。
「でしょ? でしょ?」
「もうなぎさ、そんなに……」
ほのかが困ったように、でも少し嬉しそうになぎさを窘めます。なぎさの背中で大人しく
していたひかりはその会話が聞こえたのか、わずかに声を上げました。
意味のある言葉にはなっていませんでしたが。
「ほ〜らひかり、ご挨拶は?」
なぎさはそう言って身体の向きを少し変え、ひかりの顔が祈里や舞、薫に向くようにしました。
「はい、お姉さん達にこんにちはってね」
なぎさに言われていることが分かるのか、ひかりは丸い目を祈里たちに向けて
上機嫌そうに笑いました。
「可愛いわね……ね、薫さん」
舞がたまらないと言うように目を細めました。多くの女の子がそうであるように、
舞も赤ちゃんや小さな子どもが大好きでした。そして……、
「ええ……」
と薫が答えます。薫は人間の赤ちゃんを見たのが初めてで、少し戸惑っていました。
可愛いと思う気持ちと、内心どこかで警戒する気持ちが複雑に薫の中に入り混じっていました。
「なぎさ、抱っこさせてあげたら?」
その様子を見ていたほのかがこう言うと、「そうだね」となぎさは立ち止まり、
ほのかが手伝ってひかりをなぎさのおんぶ紐から離します。
「はい。えーと……薫さん」
ほのかは腕に抱いたひかりをそっと薫に近づけます。えっと薫はほのかを見ました。
「赤ちゃん抱くの初めて?」
薫が戸惑いながら頷くと、「大丈夫よ」とほのかはにっこりと笑います。
「右腕を少し出してくれる? ……そうそう」
躊躇いがちに出した薫の腕に、ほのかはそっとひかりを乗せます。ほのかが手を離すと
ずっしりとした重みが薫の腕に加わりました。腕の中のひかりはどこか不安そうな目の色です。
それを見てほのかは笑みを浮かべました。
「ぎゅって抱いてあげて」
「……」
薫は言われるままに、ひかりの身体を強く抱きます。壊れてしまうのではないかと
最初は恐る恐るでしたが、そんなことはありませんでした。ぎゅっと抱くと、ひかりは
ようやく安心したように声をあげて笑いました。

「しっかり抱いてあげたほうが赤ちゃんって安心するの」
ほのかが横から薫に教えます。
「……そうなんですか」
「そうそう」
薫はじっと腕の中のひかりを見ます。ひかりが手をうんと伸ばして、薫の頬に触れました。
薫は固まったように動かずに、ひかりに撫でられるままになっていました。
「なぎささんの妹さんなんですか?」
その様子をほほえましく見ながら、祈里はなぎさに視線を移します。
「妹ってわけじゃないけどね。私とほのかと……ほのかのおばあちゃまに教えてもらって育ててるんだ」
「へえ」
祈里はなぎさの話を聞いて、要するに親戚の子供か誰かをなぎさたちが子守りしているの
だろうと思いました。そういう話はそれほど珍しくはありませんでした。
薫は腕の中のひかりをほのかに返します。なぎさはほのかからひかりを受け取り、
元のように負ぶいました。
薫は、ひかりが随分温かかったことに気がつきました。

しばらく歩くと、一同は四つ葉町に続く細い道に出ました。祈里たちはなぎさやほのかと
別れて、てくてくと四つ葉町への道を歩いていきました。

前へ 次へ
コラボSS置き場へ戻る
indexへ戻る