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第十一話 たこやきの出会い

さて、ひかりはなぎさとほのかのもとですくすくと育っていました。
「こんにちはー」
毎日、なぎさはほのかの家に通ってきていました。
「なぎー」
その声を聞きつけるとひかりがよちよちと歩いてきます。なぎさの元にたどり着く前に
転びそうになって、ひかりはぺたんと床に座ってからまたゆらりと立ち上がると、
とてとてと歩き始めました。
「ひかり、今日は熱大丈夫?」
なぎさもひかりの方に歩み寄ってひかりをよいしょと抱きかかえるとひかりの額に手を
当てます。生まれたときはあんなに小さかったのに、もうずっしりとした重さでした。

「あ、なぎさ」
ほのかが家の奥から出てきました。なぎさとほのかはひかりを間にしていつの間にか、
互いのことを名前で呼び合うようになっていました。
「今日はひかり、熱ないの?」
「うん、もうすっかり下がったみたい」
ひかりは数日前に熱を出したので、それからずっと外に出ないで家の中で
大人しくしなければいけなかったのでした。昨日はもう熱も下がって本人は
退屈そうでしたが、なぎさやほのかが本を読んだり人形で遊んだりしてひかりの相手をしていました。

ひかり本人はごく当たり前に成長しているような顔をしていましたが、
実際にはひかりは恐ろしく成長が早いのでした。なぎさ達がひかりを見つけたのは
一月ほど前のことでしたが、ひかりはもう二歳に近いくらいに見えました。
なぎさもほのかも――もちろん、ほのかのおばあちゃまも不思議には思っていましたけれど、
「ひかりだから」という理由で何となく納得していました。

「じゃあ、今日はひかりと散歩に行ってもいい?」
うずうずした顔でなぎさが聞くのでほのかは微笑を浮かべます。
ひかりのために行きたいと思っているのか、なぎさ自身が散歩に行きたいのか――
多分、両方でした。
「ええ、今日はもう大丈夫だっておばあちゃまが言ってたわ」
「よっし! ひかり、今日はアカネさんのとこに行こうね」
なぎさが腕の中のひかりの頬っぺたを撫でます。それからほのかに
「おんぶ紐借りていい?」と尋ねました。はいはい、とほのかは一旦家の奥に入って
おんぶ紐を取ってきてなぎさに渡しました。なぎさも、もう慣れたものでひかりを
しっかりとおんぶします。

「ほのかも行くよね?」
「ええ。あ、なぎさ。ちょっと気をつけてほしいことがあるんだけど……」
「気をつける?」
なぎさがきょとんとした表情で尋ねました。ほのかは声を潜めます。
「ちょっと、変なことを言われているの」
「変なこと?」
なぎさはますます不思議そうな顔をしました。ほのかが何を言おうとしているのか、
見当もつきません。
「何日か前に、郷屋さんがここに来て……私はちょっと出かけていたからおばあちゃまが
 対応したんだけど」
「郷屋さんってあの大きなお屋敷の?」
ほのかはこくんと頷きました。郷屋といえば、この若葉台で知らない人のない大商人でした。
もっともなぎさやほのかといった庶民に向って商売をするのではなく、
もっぱらお殿様を相手にしているという話でしたが。
「郷屋さんがなんで……」
「ひかりさんのことなの」
「ひかり?」
ほのかの表情が曇ります。なぎさはどんどん心配になって行きました。
「ひかりがどうしたの?」
「郷屋さんひかりのことをどこかからか聞いたみたいなの。それで、是非ひかりを手許に
 引き取りたいって」
「ええっ!?」
なぎさが思わず大声を上げました。背中のひかりがびっくりしたように泣き出します。
大慌てで二人はひかりをあやし、ひかりが落ち着いてからまたひそひそと話しはじめました。
「手許に置きたいって……なんで!?」
「それは分からないわ。でも、ひかりを渡せないって言うなら仏の御石の鉢でも
 蓬莱の玉の枝でも火鼠の皮衣でも龍の首の珠でも燕の子安貝でもなんでも
 持ってくるから是非に、って」
「ほ、仏の……?」
「仏の御石の鉢っていうのは、」
ほのかが一通りの解説を始めました。なぎさに分かったのは、とにかくすごく貴重な品々らしいということでした。
「でも、いくら貴重でもひかりをそんなのの代わりに渡すわけにはいかないよ!」
「ええ。……おばあちゃまも断ってくれて、諦めてくれたみたいなの。でも……、」
ひかりさんを手許におきたいと思う人は多いのかもしれないわ。そう、ほのかは続けました。

「ひかりが可愛いから?」
「もちろん、それは大きいと思うわ。でもひかりさんが普通とは少し違うのも、多分みんな知ってるから……」
「……」
なぎさは腕を回して背中のひかりに触れました。確かな温もりを感じてふっと一安心します。
「……ひかりのこと、ちゃんと見てなくちゃね」
「ええ。気をつけないと……」
ひかりが退屈したように腕を振り回してなぎさの首に当てました。
はいはい、となぎさは笑いながら「じゃあ、行こうよ。アカネさんとこ」と明るい声に戻りました。

 * * *

「舞ちゃん薫ちゃん、大丈夫?」
祈里が人間の姿になった舞と薫に声をかけます。舞も薫も人間に化けるのは
慣れたものでした――慣れているはずでした。しかし今は二人とも何か失敗していないか
心配でならないかのように何度も何度も、互いの姿を確認していました。

「二人とも大丈夫だよ。耳も尻尾も見えていないもの」
「そうね、でも……」
薫はまだ不安そうでした。何度も自分の頭の上に触っています。
「二人とも化けるの上手なのに」
「私たち、人間の町に行ったことないから」
舞は祈里にそう答えました。
「じゃあ化けるのは?」
「時々山に来る人をやり過ごすのに人間の姿の方が便利なこともあって……
 あとは手を使いたい時とか」
「なるほどね〜」
祈里はそう言って頷きました。その間にも二人は何度も何度も確認して――
ようやく、納得したようでした。
「大丈夫そう?」
「え……ええ」
薫はどこか頼りない声で答えます。普段はかなり強気に見える薫がそんな声を出すことが
祈里には意外でした。
「大丈夫、大丈夫。二人とも化けるの上手だし――たとえ物の怪だって誰かに
 気づかれてもアカネさんのところに行けば何とかなるから」

祈里たち三人は咲とのぞみ、満たちと別れてから別の道を探そうと若葉台――狸の森の
近くにある人間の町――に行こうとしていたのでした。そこには祈里が良く知る人が
いるとのことで、まず彼女に会って話を聞く予定でした。

舞と薫がようやく確認を終えたので、三人はゆっくりと若葉台を目指して歩き始めました。
祈里には慣れた道でしたが、二人の顔はひどく緊張していました。
――何か話した方がいいかな。
二人の様子を見ていると、少し気持ちを柔らかくした方がいいような気がします。
祈里は黙ったまま歩く二人の様子をしげしげと見た後、
「薫ちゃん、それお気に入りなの?」
と尋ねました。
「え?」
薫は祈里の言っていることが分からないと言うように聞き返します。
「それ」
祈里は自分の胸の辺りを指しました。薫はそれを見て自分の胸の辺りの真ん中に触り――、
青く輝く宝石のことを祈里が言っているのだと気がつきました。
「これは……」
「昨日は確か、してなかったよね?」
「……ええ。……」
舞は祈里に答えている薫の顔を見て不思議に思いました。薫はどこか、辛そうでした。
舞にはその理由はよく分かりませんでしたが、この話を続けるのがいいことだとは
思えませんでした。だから舞は話に割り込みました。
「祈里さん、この道でいいの?」
「ええ。ここをしばらく道なりに進んで、そうしたら大通りに出るんだけどそこに行けば
 もう町の音が聞こえてくるわ」
祈里が舞にすらすらと答えます。その言葉を聞きながら舞は別のことを考えていました。

――満さんも色違いの宝石を胸にかけてたわね……
舞は先ほど別れた満の姿を思い出します。満も赤い宝石を首からかけていました。
二人がそんなことをしているのを見るのは初めてでした。
――でも、満さんと薫さんの二人が同じ日にかけたんだから……
きっと、二人にとって何か大切な意味があるのでしょう。思い出せば、別れる前の満の
表情も何かを考え込んでいるかのような様子でした。と、舞の耳に町の喧騒が微かに
届き始めました。

「薫さん、聞こえる?」
舞が尋ねると薫は「ええ」と顔を上げて風の音を聞くように軽く頭を動かします。
「人がたくさんいるわね……車の音も……」
「へえ、やっぱり犬や狐って耳がいいんだね!」
まだ町の音が聞こえてこない祈里は二人の様子に素直に感心しました。
そのまま三人はしばらく歩き続け、大通りに出ます。ここまで来ると何人かの人ともすれ違いました。

最初の一人、二人とすれ違う時には舞も薫もがちがちに緊張していましたけれど、
やがて少し慣れたようで表情が多少落ち着いてきました。時に三人のことをちらちら
見ながら通り過ぎる人もいましたが、それは物の怪に見えて怪しく思ったというよりも、
見慣れない可愛い女の子が三人もいるという驚きの視線でした。

「……意外と大丈夫でしょ?」
五、六人目をやり過ごしてから祈里が舞と薫を見ます。
「確かにそうね……」
と薫は答えました。すぐにでもばれてしまうのではないかと思っていましたが、
ここまでは誰にも気づかれなかったようでした。そこまで分かっても人間と
すれ違う時には警戒でびりびりしてしまいますが、それはどうしようもなさそうでした。
「アカネさんという人はどこにいるの?」
「町の中心に近いところでたこ焼きを売っているのよ。だから町に入って、それで……」
祈里の説明に従って、舞と薫は街の中を慎重に歩いていきました。
誰にも見咎められることはありませんでした。

「たこ焼きくださーい」
「ありがとねっ!」
アカネさんの店の前は今日も子供たちでいっぱいです。いつかほのかが来たときに
ブッキーが踊っていた台の上は今は空っぽで、アカネさんは手早くたこ焼きを作っては
出来た分からそこにおいて行っていました。子供たちはお金と引き替えにそれを持っていきます。
「ちょっと待とうか」
祈里はそう言って、子ども達の列が捌けるのを待ちます。ひっきりなしにお客さんが
来たらどうしようと思っていましたが、幸いしばらくするとお客さんの列が途切れました。

「アカネさんっ!」
祈里はぴょんと飛び出るように屋台の真ん前に出ます。
「あ、」
ブッキー、と呼びかけてアカネは慌てて口を自分の手で塞ぎました。アカネの屋台にいつも
いるフェレット――多くの人はイタチだと思っていましたが――がブッキーという名前で
あることは良く知られていましたから、人間の姿をしている祈里をその名前で呼ぶことは
憚られたのでした。
「どうしたの? 今日は一緒にいるの、美希じゃないんだ」
アカネは手を拭きながら尋ねます。祈里の後ろにいる舞と薫を見て少し不思議そうでした。
「ちょっとアカネさんに聞きたいことがあって」
「私に?」
「ええ」
「今日はしばらくお客さんも来ない感じだし……」
アカネさんは遠くを見るような目で辺りの道を確認しました。
確かに、たこ焼き屋の主な客層である子ども達の姿は見えませんでした。こっちに、
といってアカネさんは屋台を軽く片付けて住んでいる家の方に三人を連れて行きます。
アカネさんは町の一角にある長屋の一室に住んでいました。

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