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お屋敷の女の子の方はちらりとこまちの置いた包みに目をやりました。
人の鼻にはその匂いは分かりませんでしたが、彼女には包みの中のものは容易に
察しがつきました。
「……この包み、あなたの?」
「ええ」
こまちは本棚に目をやったまま答えました。
「中に入っているのはぶどうね?」
「ええ、そう……」
気になった本を棚から引っ張り出しながらこまちは答えます。くるりとこまちは
かれんの方を振り返りました。良かったら食べて下さいと言おうかと思いました。
でもそれも何だか失礼な気がしました。
「……その……、」
お屋敷の女の子の方は何かを言いたそうにしていましたが言い出せないでいるようでした。
「あの……」
躊躇いがちな声が二人から同時に発せられます。先にどうぞ、というように女の子は
こまちの方に手を差し出しました。

「もし、良かったら……なんですけど、これ食べてください」
「え?」
「あ、あの失礼でした……ごめんなさい」
謝ってこまちが包みを自分の懐に戻そうとすると「待って」と女の子はこまちの手を
握りました。
「喜んでいただくわ」
半信半疑ながらこまちがぶどうを渡すと、女の子はゆっくりと食べ始めました。

こまちはこの日、気になった本を三冊貸してもらって雨が止むのを待って帰宅しました。
それからこまちは何日かに一度このお屋敷に通うようになりました。貸してもらった本を
返して、また別の本を借りて。
必ずぶどうと、それと家で売っている和菓子をいくつか持って行っていたのですけれども
かれんは――それが女の子の名前でした――ぶどうの方を好んで食べるのが常でした。

こまちは借りた本の感想をたくさんかれんに話しました。
時には「このお話の続きはきっとこうなって……」と話すこともありました。
かれんはそれを興味深そうに聞いていました。

そんなある日のことです。いつものようにこまちはかれんのお屋敷で本を借りて、
日が暮れようとする頃には家路についていました。これから読む本を抱えていると
心が弾みます。こまちは知らず知らず、飛び跳ねるようにして歩いていました。……と、
本の一冊から何かがはらりと落ちました。拾い上げると、それは封筒に入った手紙のようでした。
表に書いてある字はこまちには読めませんでしたが、きっとかれんのお家の人の
誰かの手紙なのでしょう。

こまちは空を見上げました。日は今落ちようとしているところでしたけれど、
月は天空でその輝きを増していました。日が落ちても歩くのに不都合はなさそうでした。
こまちはすぐに、とって返しました。もはや勝手知ったる――といってもいい状態でしたから、
お屋敷の戸を開けるとこまちはかれんの姿を探しました。
かれんは普段自分の部屋にいることが多いのです。こまちも二回目以降からの訪問では
かれんの部屋に通されてお茶を飲むのが通例になっていました。

「かれん? ごめんなさい、ちょっと入るわ」
声をかけるのもそこそこにこまちはかれんの部屋に入りました。
「ちょ、ちょっとこまち!?」
「かれ……ん!?」
こまちの聞いたのは確かにかれんの声でした。しかし部屋の中に見えたのは奇妙な
光景でした。かれんの姿はそこにありました。けれども、半分だけでした。左半分は
かれんの姿でしたが、右半分は黒く小さな翼を纏った獣の姿――こまちの見ている前で
かれんとして残っていた部分も溶けるように消え、すっかり本物のコウモリの姿に
なってしまいました。こまちの耳にわずかに聞こえるほどの高い鳴き声を残して
コウモリが窓から飛んでいこうとするのを、
「待って、かれん!」
とこまちは飛びついて捕まえました。手の中のコウモリは小さく震えていました。
「かれんなんでしょう?」
「……」
コウモリはばたばたと羽を動かしてこまちの手から逃れようとします。
「かわいい……」
こまちが漏らした呟きにコウモリは驚いたように羽の動きを止めました。
こまちは特にお世辞で言ったつもりもなく、真実そう思っているようでした。
「こんなに可愛い姿もあるなら、早く見せてくれれば良かったのに」
「……あなたの趣味は色々と間違っていると思うわ、こまち」
はっきりとかれんの声で答えたかと思うと、手の中のコウモリは少しずつ大きくなり、
こまちが床の上にコウモリを置くとそのままかれんの姿になりました。

「部屋に入るときは少し待ってもらえないかしら」
「ごめんなさいね、かれん」
かれんはどさりと椅子に腰掛けると足を組みます。諦めたようにかれんはため息をつきました。
「かれんは……物の怪なの?」
「その『物の怪』がこの辺りの森に古くから住んでいる生き物を指しているのなら違うわね」
回りくどい言い方にこまちは首を傾げてかれんの言葉を待ちます。
「私は――私の家族は――元々、この国には住んでいなかったわ。海の向こうにいたの」
「海の向こう」
壮大に聞こえる言葉にこまちは目を輝かせました。
「そこでは、私みたいなコウモリの物の怪も普通にいるらしいの。
 この辺りでは聞いたことがないでしょう?」
「そうね……」
こまちは頷きます。物の怪といえば狸や狐、河童やぬりかべであって、
コウモリのことは聞いたことがありませんでした。
「でも、あまりコウモリの物の怪っていうのは好かれる存在でもないらしいの。
 私の両親は人としても仕事をしているから、周りの人に気づかれないように気をつけて
 海の向こうに残っているけれど、私のことはこちらに逃がしたかったらしくて
 こちらに家を建ててここに私を連れてきたの」
「……そうなの」
そういえば、とこまちは渡そうと思って持っていた封筒をかれんに差し出しました。
「これが本の中に挟まっていたわ。これをかれんに渡しておこうと思って戻ってきたんだけど」
「ありがとう」
かれんは封筒の上に書かれた字を読みました。こまちには読めない字ですが、
かれんには読めるようでした。きっと、海の向こうで使われている文字なのでしょう。
「誰かが両親に宛てた昔の手紙ね。本に挟んでいて忘れてたんだわ、きっと。
 今度来た時、渡しておくわ」
「ねえ、かれん……」
こまちは思い切って自分の気持ちを言葉にしました。
「何かしら?」
「今度、私の家にも来ない?」
「ええ?」
「海の向こうの国ではどうか分からないけれど、ここでは特にコウモリの物の怪が
 好かれていないということはないし、だから……」
「……考えておくわ」
「ありがとう、かれん」


かれんが実際にこまちの家を訪ねたのはそれから数日経ってからのことでした。
こまちとかれんは二人だけの秘密を共有したまま、誰にも話すことはありませんでした。
こまちが一度、「森に行ってみない?」と勧めたことはありましたが……、
「森?」
「そう。その……他の物の怪さんとも会えるかもしれないし?」
「物の怪って狸とか狐とかでしょう?」
少し怖いわ。かれんがそう言ったので、こまちは無理強いしませんでした。
かれんはこまちの渡すぶどうをコウモリの姿になってこまちの手にぶら下がって
食べることが多くなりました。

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