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第九話 木ぶどうころりんすっとんとん

小さい頃、こまちはよくお姉ちゃんに遊んでもらっていました。
お姉ちゃんに遊んでもらう時は大抵外での遊びでした。こまちは外での遊びのほかに、
家の中で本を読むのも大好きでした。お姉ちゃんが昔読んでいた本を読みつくして
しまうと、近所の人から本を貸してもらっては読んでいました。面白い本も、難しくて
良く分からない本もありました。やがてこまちは、お姉ちゃんとではなく一人で家の外に
出ることも多くなりました。

一人で外に出たときは、家の周りの物事を読んだばかりのお話に当てはめて空想していました。
家から少し行ったところに見える高い木は天狗の木に違いありませんでしたし、
道沿いに並ぶお地蔵様は夜中にこっそり動き出すに違いありませんでした。

そのうち、こまちの行動半径に他の家とはまったく様子の違うお屋敷が入ってきました。
今から思えば、それはかれんの家でした。こんな石造りのお屋敷はこまちが知る
どの家とも違っていました。だからこまちは、きっとこの家は竜宮城か雀のお宿か
何かだと思いました。

本には書いていませんでしたけれど、そうした不思議な世界の建物が普通の世界に
来るとああした風に見えるのだと、こまちは思っていました。
でもそんなことを周りの人に話したらきっとあのお屋敷そのものが消えてしまうと思って
こまちは誰にもその考えを話しませんでした。

ある日、こまちはそのお屋敷にほんの少しだけ近づいてみました。
見慣れた木造の家が立ち並ぶ通りから、少しだけ並木道を通るとそのお屋敷に着きます。
こまちはその並木通りに一歩を踏み出してみて、すぐに足を引っ込めました。
この道はほとんど誰も通らない道で、その時もしんと静まりかえっていました。
この道はあのお屋敷に行く以外にどこにも行けない道です。今から考えれば、
そんな道がきちんと整備されているのもおかしな話でした。

並木道に一歩を踏み出したこまちは、しかし、そこから足を進めることができませんでした。
風に揺られてざわざわと木が音を立て始め、こまちはそこから先に踏み出す勇気が出ませんでした。
帰ろうとして、こまちは並木道に小さな穴のようなものがあるのに気がつきました。
ちょうどモグラが掘ったくらいに見える大きさです。
前日に読んだ「おむすびころりんすっとんとん」というお話のことをおもいだしました。
おじいさんが穴の中におむすびを落とすと、穴の下にいたネズミ達がそれを受け取るというお話です。

こまちはおむすびは持っていませんでしたが、近くで摘んできた木ぶどうをもっていました。
ですからその粒を十程度、穴の中に落としてみました 
木ぶどうは穴の中に吸い込まれるようにして落ちていきました。
お話で読んだようにネズミたちの歌が聞こえてくることはありませんでしたが、
こまちは穴の中にぶどうを落としてみたというそれだけで満足して、その日は家に帰りました。

こまちが家に帰ってしばらくすると、日が落ちて夜が訪れました。
夜は町のどの家も暗く染めます。石造りのお屋敷も、それは変わりませんでした。
お屋敷は裏側から――町から遠い方から――見ると、崖の上に立っています。
お屋敷の真下にある崖の最下部にはぽっかりと空洞が開いていました。
一羽の小さなコウモリがその空洞の天井から逆さまにぶら下がり、
今にも夜の空に飛び立っていこうという姿勢を見せ、――何かに気づいたように羽根を
畳みました。

ひゅっと落ち地面ぎりぎりを飛行すると洞窟の底の地に転がる数粒の木ぶどうを
口に咥えまた天井にぶら下がります。木ぶどうを食べてみるとその味は
食べたこともないもので、すぐにその魅力に取り憑かれました。
コウモリはすぐに残りの木ぶどうを食べ、食べ終えてしまうとがっかりしましたがすぐに
気を取り直して洞窟から夜空へと飛び立ちました。

数日後、こまちはまたお屋敷の方に向けて歩いていました。しばらく雨の日が
続いていたので外に出るのは久しぶりでした。今日は木ぶどうを一杯抱えていました。
半分は明日用に包んで懐の中にいれ、残りの半分をすっとんとん、と前に落とした
穴の中に落としてしまうと、何か聞こえないかと耳をすませてみましたが何も聞こえませんでした。

やっぱりと思ってこまちは立ち上がると、また少しだけあの並木道を歩いてみます。
この日は前よりも少し大胆に、並木道をお屋敷に向って近づいてみました。
最近降った雨は並木道も濡らし、道はだいぶぬかるんでいました。
柔らかい土を踏みしめながらこまちは一歩、また一歩とお屋敷に向けて近づいて行きます。
……と、まるでこまちの存在に気づいたかのようにお屋敷の戸がぎいいと音を立てて開きました。
こまちは思わず身をすくめます。
「おや……」
お屋敷の中からこまちを見たのは品の良さそうな初老の男性でした。
「お嬢様のお友達ですか?」
違います。こまちはすぐにそう答えようとしましたが、お屋敷の中の人に見つかるとは
思ってもみなくて声が出てきませんでした。このままくるりと振り返って
逃げてしまいたいとも思いましたが足が地面に張り付いてしまったかのように動きません。
止んでいたはずの雨がまたざあっと降り始めました。
「濡れてしまいますよ。こちらで雨宿りをどうぞ」
初老の男性はこまちのところにすぐに駆けて来ると優しくこまちをお屋敷の中に招き入れます。
動かなかったこまちの足も、この時にはようやく動き出していました。

「雨が止むまで、こちらでしばらくどうぞ」
着物と顔や手足を拭いて、それからこまちはお屋敷の中の一室に通されました。
そこは応接間といった様子の部屋で、カーペットの上にテーブルやソファが並んでいます。
こまちには見たことのない家具ばかりでどうしたらいいのか分かりませんでした。
部屋に独りになって、こまちはひどく落ち着かない様子でうろうろとしていました。

――どうして私、このお屋敷の中にいるのかしら……
一人になると、そんなことが気に掛かってきます。成り行きでこうなったとは言え、
自分はあまりにも場違いであるように思えました。
突然ガチャリと音がして部屋の戸が開きます。悲鳴にならない悲鳴をあげてこまちは
振り返りました。そこには綺麗な服を着た、青い髪の女の子が立っていました。
女の子はこまちを見てきょとんとした表情を浮かべた後、

「あなた、誰? どうしてここに?」
と当然のように尋ねました。
「あ、あの、ごめんなさい」
怒られたと思って震える声でこまちが謝ると、女の子は不思議そうに首を傾げます。
「どうして謝るのかしら?」
「え? ええと……」
怒られたのではなかったらしいとこまちは思いました。
「それで、あなたは誰?」
「あ……こまち、です」
「こまち?」
こまちはこくんと頷きました。
「そう。で、どうしてここに?」
「雨宿りに、ここにいていいと言われて……」
「そう」
じいやね、と女の子は呟きましたがそれはこまちには聞こえませんでした。
「あの、私ここにいても……」
「居ればいいわ」
ぶっきらぼうにも聞こえる口調で女の子は答えます。さて、とばかりに女の子はソファの
後ろに回りこみました。ソファの後ろには本棚があります。実用性というよりも部屋の
装飾として利用されているもののようでした。女の子はその本棚に並んでいる辞典の
ような本の列に自分が持ってきた本を戻して並べなおしました。
――そしてそこで、こまちがじっと自分の動作を見ているのに気がつきました。
「どうしたの?」
「あの……それ、本ですか」
「そうよ?」
かれんは辞典の背表紙を撫でます。それは、こまちが見たことのない色をしていました。
「本を読みたいのかしら?」
「え、ええ……本が好きで」
「だったらこっちよ」
女の子がすたすたと部屋をでていくのでこまちは慌ててついていきます。
案内された部屋は屋敷の図書室といった趣で、部屋中の棚に並ぶ本にこまちは
目を奪われました。
「好きなだけ読んだらいいわ」
「は……はいっ!」
返事もそこそこにこまちは棚に飛びつきます。懐に入れていた木ぶどうの包みが
邪魔になったのでこまちは近くにあった机の上に置きました。応接室で出すのは
少しはばかられたのですが、今はそんなことを気にしている場合ではありませんでした。

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