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第五話 霧の中に

家の外に出ると、冷たい空気が満と薫の頬を撫でました。二人の目が月の光を受けて輝きます。
「……どこにいるのかしらね」
「馬の物の怪でしょう? やっぱり広くて走りやすそうなところかしらね」
家から出ると、二人はとりあえず崖の方とは反対方向に歩いてみました。

二人の風下に生えている木の影に一人の少女――美希は、隠れていました。満と薫が
美希の存在に気づかず行ってしまうと、美希はほうっと息をつきました。
――何でブッキーのところに犬や狐がいるのよ……
美希は木の影から少しだけ顔を出して家の様子を窺いました。

実は美希は、もうずっと前に祈里の家に着いていました。しかし、吹いて来る風は
美希に、祈里の家がいつもと違うことを教えました。家の中に犬と狐の匂いを感じ取った
美希は家に入ることができずに家の周りをうろうろしてどうしたものかと考えていました。

馬の物の怪である美希にとって、狐や犬、特に身体の大きな山犬は天敵といってもいい
存在です。ブッキーのことがずっと気に掛かっていましたが、
家の中に飛び込んでいく勇気もありませんでした。

――とにかく、これで山犬はいなくなったんだから……
残っているのは狐だけだ、と美希は考えました。馬になってしまえば身体が
かなり大きくなりますから狐は蹴散らすこともできます。
――ブッキーを助け出すのは今しかないわ!
覚悟を決めて美希は木の影から飛び出すと祈里の家に向って全速力で駆けました。
そのまますぐに戸を開けて家の中に飛び込みます。

「ブッキー! 逃げ……」
「あれ、美希ちゃん遅かったね」
祈里の暢気な声に美希はふぇっ? と目を丸くしました。祈里の隣にいた舞が、
「こんにちは、初めまして」
とぺこりとお辞儀をしました。舞の匂いが美希の鼻に届きます。
「き、狐……」
と美希は動揺して二、三歩後ろに下がります。美希の背後で家の戸が開きました。
「この近くにはいないみたいだったわ」
がっかりした声で満と薫が入ってきます。美希は薫の姿と匂いに
「山犬……」
と言ったのが精一杯でそのまま腰を抜かして尻餅をついてしまいました。

    * *

「そっか〜そうだよね、美希ちゃん狐さんも犬さんも苦手だよね、気づかなくてごめんね」
――うう、情けない……
突然腰を抜かした美希が座っている周りにみんなが集まっていました。
咲は足の怪我があるので部屋から動かない方がいいということでこの部屋には来ていませんでした。
祈里が持ってきてくれた水を飲みながら、美希は見慣れない客の顔を見回しました。
舞と薫はやや申し訳なさそうな表情を浮かべています。

「それで、私に用事って?」
「あ、うんそれね。のぞみちゃんたちが目指してるのが滝の向こうなんだそうだけど、
 明日美希ちゃんに乗せて連れて行ってもらえないかと思って……」
「滝?」
美希は少し考えると、正座を崩して座っているのぞみに目を向けました。
「ここから東の方に行ったところにある滝なら知ってるけど、それのこと?」
「え、えーと、東……かな?」
のぞみがどう答えたものか悩んでいると、祈里が身振り手振りを交えながら
「この家からあっちに歩いていた方に崖ぞいの道があるでしょ?
 その上を川が流れているらしくて、そのさらに上流に滝があるそうなんだけど、
 のぞみちゃんが住んでいる森がその滝のさらに上流にあるそうなの」
「ああ……あの滝ね」
美希は分かったというように頷きました。
「分かる?」
「ええ。上まで行ったことはないけど、あのくらいの大きさの滝ならそんなに問題なく
 飛び越えられると思うわ」
「本当!? じゃあ、乗せていってもらえる?」
「構わないわよ。ただ、その……、」
ちらりと美希は舞と薫の方を見ました。あ、と舞が呟きます。
「私たちは別の道を考えるわ」
それに呼応するように薫もええと頷きます。
「ご……ごめんね、あなたたちが普通の動物じゃなくて物の怪で、話も通じて、私のこと
 食べたりしない……って分かってはいるんだけど、どうしても……」
「気にしないで、当たり前だもの」
舞がにっこりと微笑みます。その顔に美希は安心しました。表情が固く見える薫のことは
まだ少し怖いままでしたが。
「別の道って何か考えがあるの、薫?」
「……」
薫は満の問いには黙ったままでした。当てはないのね、と満は思いました。
えーっと、と祈里が呟きます。
「ねえのぞみちゃん、その森の近くに人間の町はなかった?」
「うんあるよ、すぐ近くに」
のぞみは質問の意図が分からないようで目をぱちくりさせながら答えました。
「町の名前分かる?」
「えーっと、確か……四つ葉町。そんな名前だったよ」
「四つ葉町ね」
「ブッキー、その町知ってるの?」
「知らないけど、アカネさんに聞けばその町への行き方は分かるんじゃないかと思って……」
のぞみ達四人はアカネさんという新しい名前に誰のことだろうと不思議そうな表情を浮かべました。
「アカネさんってね、ここから少し行った若葉台っていう町でたこ焼きを売っている人なの。
 以前、私が罠にかかって困ってた時に助けてくれた人で、最近はよくお店を
 手伝わせてもらってるんだけど……よく買出しとかで色々な町に行っているから、
 知っているんじゃないかと思うの」
「それってその……その人は、人間ってこと?」
薫が確認するように尋ねると祈里は、「うん!」とにっこり笑いました。
「人間だけど、大丈夫。アカネさん私が物の怪だってことも知ってるけど、別に何もしないし」
人間って意外と怖くないよ、と祈里は続けました。
「そう……なの」
「うん、だからえーっと、私と舞ちゃんと薫ちゃんは明日若葉台の方に行って
 アカネさんに道を聞いてみて、のぞみちゃんと咲ちゃんと満ちゃんは美希ちゃんに
 乗せて行ってもらったらどうかしら」
「ねえ、三人も乗って大丈夫?」
のぞみが美希を見ます。それは大丈夫、と美希が請合います。
「みんな女の子でしょう? そのくらいなら平気よ」
「ありがとう、じゃあ明日はそういう組み合わせで行くのにけってーい!」
のぞみが話を纏めました。

    * *

「悪かったかなあ、やっぱり」
夜もすっかり更け、祈里が美希の隣に布団を敷いて寝る支度をしています。
美希が祈里を見ながらこう呟くと、
「舞ちゃんたちのこと?」
と聞き返しました。
「うん、あそこまで怖がらなくても良かったかなあって」
「仕方ないよ、美希ちゃん」
無理しないでと祈里は美希を気遣います。

「まあね……、何でブッキーは怖くないの?」
「うーん、犬さんは良く人間に飼われてるからその治療で呼ばれることがあってそれで
 怖い犬さんばっかりじゃないって知ってるし、狐さんも犬さんと同じような
 性格が多いし……だから怖くないんだけど」
「ふうん」
美希はため息のような息をつきます。祈里はフェレットで、美希よりもずっと小さくて
弱いはずなのにこんなところは意外と大胆でした。


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