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第四話 緑の薬売り

祈里が料理をつくるのを舞と満と薫が手伝ったり、動けなくて退屈な咲の相手を
している間にあたりはすっかり暗くなってきました。
「今日は美希ちゃん、遅いなあ……」
料理の手を止めて祈里は外を見ました。普段なら美希は日が落ちる前には必ず
来ていましたが、もう日が落ちようとしているのに今日はまだやって来ませんでした。

「ごめんください」
訪問者の声がします。美希ではなく、男の声でした。
「はーい」
と祈里は切っていた野菜を皿に置くと、盛り付けを舞たちに頼んで入り口の方に向います。
六人分の小さな皿を並べて順番に野菜を並べて行く三人の耳にも祈里と訪問客との
会話が聞こえてきました。

「あの、うちはそういうの使いませんから」
「まあまあそう仰らずに。一度使ってみてはいかがですか?」
「いえ、本当に結構です」
揉めている――祈里が来客に閉口しているようなので、薫はつかつかと入り口に
近寄りました。満も同じように動きます。客があまり祈里を困らせるようなら
追い出してしまえばいいというのが二人の考えでした。

「今日は両親もいないので、そんな高価な薬は買えないんです」
「おやおや、ならば今日は特別にお試し価格ということで構いませんよ。
 置いて行きますから、後日お代を頂きに……」
「困ります、そんな!」
満と薫がすっと祈里の前に出ようとします。しかし、二人はその客の顔を見たところで
思わず立ち止まりました。客の方も二人に気づきます。
「おやおや、これは。お久しぶりでございますなお二人とも」

訪問客はその深緑の顔ににたりと笑みを浮かべました。薫は警戒するかのように何も
答えずにいましたが、満は「お久しぶりです」と愛想笑いを浮かべました。
「その様子だとお二人ともお元気そうですな。いや、何よりでございますよ」
訪問客の小男は二人の機嫌をとるかのように言いましたが、満も薫も表情を崩すことはありませんでした。

「ここで久しぶりに会えたのも何かの縁でございましょうなあ。
 祈里殿、今日は私はこれで。お父さまお母さまによろしくお伝え下さい」
「え、あ、はい」
祈里がぺこりと頭を下げると、男は唐突に帰っていってしまいました。

「満ちゃんと薫ちゃんの知り合いだったの?」
男が戻ってこないのを確認してから祈里が尋ねます。
「ええ、まあ……」「何をしにきたの?」
祈里は満に目を向けました。
「郷屋(ごうや)さんは薬を扱う商人さんみたいで良くうちにも薬を売りにくるんだけど、
すごく高いからいつも買えなくて……」
もっと安くてちゃんと効果のある薬もあるし、と祈里は続けます。
「いつもお断りしているんだけど、新しい薬が入るたびにうちにも来て」
祈里は大分迷惑そうでした。
「満さんたちとその郷屋さんはどこで知り合ったの?」
舞のところに戻ると、野菜を綺麗に盛り付けていた舞が顔を上げます。
舞にも訪問客との会話はすっかり聞かれていたようでした。
「……その、」
満は言いにくそうでした。
「あ、言いにくかったら言わなくても……」
「あの人は私と満に『狸の森』に行くように言った人よ」
薫が舞の言葉を打ち消すように話し始めます。
「私たちが山火事から逃げ出した時、たまたま会って
 『狸の森に行けばなんとかなるかもしれない』と教えた人」
「え? それじゃあ満さん薫さんが狸の森に来たのはあの人のおかげなの?」
「ええ……そういうことになるわね」
薫は歯切れの悪い言い方をしました。舞の言っていることは全く正しいのですが、
しかし「おかげ」とは言いたくない何かを満と薫はあの男に感じていました。……

    * *

満と薫が住んでいた山は鬱蒼とした木々に覆われていました。この山の主――狸の森の
長老のようなもの――はアクダイカーンと呼ばれる物の怪でした。
もう何十年も生きていると言われていましたが、誰も正確な年は知りませんでした。
長く生きた物の怪の常として、強大な不思議な力を様々に操ることができると言われていました。

満も薫も物の怪としては年が若く未熟でしたから、この主の姿を目にしたのは一度か
二度あるきりでした。それでも、他の物の怪たちと同じように主に対する漠然とした
尊敬の念は抱いていましたし、いずれは不思議な力を使えるようになって
主の近くに仕えるようになるのが夢でもありました。

ある日の夕方、木の上でうとうとと眠り始めた満は何かがばあんと破裂するような音で
目を覚ましました。もう日が落ちてあたりはすっかり暗くなっていました。
――何……?
どこか遠くで何かが爆発したような音でした。眠い目をこすりこすり、満は放っておくか
様子を見に行くか少し迷いましたが、結局様子を見に行くことにしてするすると木の幹を駆け下りました。

地面に降り立つと下草の中に身を隠すようにして音の方向へ駆けて行きます。
満が普段寝床にしている木は山のかなり低い場所に生えていましたから、満はすぐに
山の森の中から飛び出しそうになりました。この山の麓には細い道が通っていて、
一応そこが向かいの山との境界になっています。満はたまに向かいの山に
足を伸ばすこともありましたが、基本的にはこちらの山の中に留まっていました。

木の影に身を隠してそっと小道の様子を窺うと、何人かの人間らしいものたちの姿が
見えました。何か揉めているようでしたが、人間と見て満は急速に興味を失いました。
――どうでもいいわ。
胸のうちでそう呟くと満は手近な木に登って中断された昼寝の続きをすることにしました。


どのくらい時間が経ったのでしょうか、満は山犬の荒い息の音を聞いて目を覚ましました。
木の枝の上にいる限りは山犬と言えども恐れる必要はありません。満は薄目を開けて
辺りの様子を伺い、少し離れた木の側に山犬が一匹いるのを見つけました。
この時の満はこの犬の名が薫ということなどまだ全然知りませんでした。

薫はゆっくりと木に近づいていきます。その先に何があるのかと視線を動かし、ぎょっと
驚きました。薫が近づいていっている木の幹には女の子が一人縛り付けられていました。
黒に近い濃紺の髪を肩くらいまで伸ばした彼女は動けないまま、その顔は近づいてくる山
犬の姿を見て蒼白に震えていました。

満はこれから引き続いて起きる惨劇の予感に身を固くしていましたが、出て行って
止めようとは思いませんでした。この山に入るような不届き者の人間は生きて帰しては
ならないというのがこの山の昔からの掟でしたし、
かといって満のような身体の小さな物の怪にはそんなことはできないので、
必然的に人間への対応は山犬たちの仕事でした。

山犬は女の子の縛り付けられた木に十分近づくと後ろ足二本で立ち上がり上体を
起こしました。すぐに彼女の柔らかい喉笛には鋭い牙が突き立てられるものと満は
思っていましたが、薫の方は満の予想を超えた行動に出ました。

薫が牙を突きたてたのは女の子ではなくその身体を縛り上げている縄の方でした。
縄を切られて女の子は地面によろけ倒れこみ、何が起きたか分からないと言いたそうな眼で
薫を見ていました。
その顔面はまだ蒼白で、身体は彼女の意思とは関係なくがたがたと震えていました。
彼女がわずかに、山に登る方向へと身を動かすと山犬の姿をした薫は恐ろしい唸り声を上げました。
「あ……」
薫の意図に気づいたらしく、女の子は身体を引きずるようにして山から離れる方向へと
逃げていきました。薫の方はというとぺたりとその場の地面に座り込み、
戻って来はしまいかと見張っているようでした。
――追い出すだけ、なんて随分甘いのねあの山犬。
気づかれていないのをいいことに満は枝の上でくすりと笑いました。

逃がしただけであることを種に少しからかってやろうかとも思ったのですが、
冗談のつうじそうな相手ではないのでそれは止めにしてもう少し眠ることにしました。
もう深夜になっていたようでした。

……次に満が目覚めた時。山は橙色の炎に包まれていました。火の手は山の奥から
上がったようで、むっとした熱気が満のいる麓にまで押し寄せてきていました。
昼のように明るくなった山から鳥たちがぎゃあぎゃあとうるさく鳴いて逃げて行きます。山の上の方にいたはずの強い物の怪たちはなぜか、一匹も逃げて来ませんでした。
薫は先ほどの場所で右往左往しています。満は素早く木を降りると、
山の奥に戻ろうとしましたが一陣の風と共に立ち上る火柱が満の道を塞ぎました。

ぱっと身を翻し満は、もう逃げるしかない、と覚悟を決めました。
山の奥に登ることはできそうにありませんでした。
薫の方は何とかして山に戻れないかとまだ探っているようでした。しかし炎の僅かな隙間からもぐりこもうとした薫に燃え上がる木が倒れこんできます。
薫も身を引くと山を諦めて満の後を追うように駆けて行きました。火の手は満と薫も
追いかけます。

炎に捕まりそうになりながら満と薫は逃げて逃げて、どこをどう走ったのかも
分かりませんでしたが、小さな川にたどり着きました。二人ともざぶんとそこに飛び込み、
炎にあちこち焦がされた身体を冷まします。火は山を舐め尽し、ようやく勢いが
収まったようでしたがまだ燃え盛っていました。

ざばりと薫は川から身体を引き上げます。満もそれに続きました。
火はもう、ここまでは来ないようでした。

――どうしよう、これから……。
満は困惑して薫を見上げました。薫も同じように困惑した視線を満に向けました。
遮二無二逃げてきたものの、これからどこに行ったらいいものか全く分かりませんでした。
一緒に逃げてきたこの物の怪もあまり頼りがいはありそうにない、と満も薫もお互いに思っていました。

「お困りのようでございますな、どうされました」
不意に声をかけられ、満も薫もびくりとして後ろを振り向きました。
気配は全く感じなかったのにすぐ後ろに小男が立っています。――郷屋(ごうや)、と男は名乗りました。
薫が何も答えずに山の方に視線を向けると、「ああなるほど」と郷屋は呟きました。
「お二人とも、あの山の物の怪ですか。……残念ですがあの山、火が止まったとてもう
 住める状態ではありますまい。……、お二方、どうです良かったら『狸の森』に行ってみては?」
「『狸の森』?」
満が聞き返します。そうでございますよ、と郷屋は答えました。
「この道をずっと真っ直ぐ行けば、狸の物の怪たちの住む森があるそうですよ。
 比較的よそ者も受け入れる森だとか……、そこを尋ねてみるくらいしか、私には思いつきませんなあ」
それでは。郷屋はそう言って早々にその場を立ち去りました。山の方に
向かっているようでしたが、満も薫も彼がどこに行こうとあまり興味はありませんでした。
郷屋の小さな背中が見えなくなると、満はすぐに歩き始めました。
「……行くの?」
座ったままで薫が尋ねると、ええ、と満は振り返らずに答えました。
「他に行くあてもないもの」
そう言って歩み去る満の後ろから薫がゆっくりとついてきました。

    * *

「……満さん?」
舞の言葉ではっと満は我に返りました。周りを見ると祈里は料理の続きを始め薫はその手伝い、舞は野菜を盛った皿を並べ始めています。
「どうかしたの? ぼうっとして……」
「あ、ああ……ごめん」
昔のことを思い出して頭を一杯にしていた満は軽くその思い出を振り払いように
頭を振りました。もう大体料理もできたようで、手伝うこともあまりなさそうでした。
「すっかり暗くなっちゃった。美希ちゃん、まだかなあ……」
祈里が窓の外を再び見ます。美希という少女はまだ来ていないようでした。
「私、ちょっと探してくるわ。馬、なのよね?」
気分転換に外に出たくて満はそう祈里に言いました。
「本当? でも、もう暗いし……」
「私なら大丈夫よ。夜のほうが好きなくらいだわ。人間の姿をしている時はどんな感じなの?」
「ええとね、背が高くて髪も瞳も青くて……」
思わず満は薫に視線を向けました。
「あ、薫さんよりもう少し背が高いかな。馬の時は身体は茶色いけれど、
 たてがみが少し青みがかっていて……」
「そう、じゃあそういう人や馬を探してみるわ」
「待って、私も行く」
薫が包丁を置いて満の後ろについていきます。
「じゃあみんなが揃ってからご飯ねー」
祈里の声がそんな二人を後ろから追いかけました。


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