前へ

「アクダイカーン様……」
満と薫の口からため息のようにかつての主の名が漏れた。桟橋の先端に立つ二人の前
に広がるのはからっぽの闇。湖は昔のように冷たい水をたたえているが、
突き出した岩に灯っていた命の炎は消えたまま、
そこに君臨していたアクダイカーンの姿は見えない。ただ空洞だけがそこに存在している。

――アクダイカーン様はもういない……
満の抱いたそれは、今更と言ってもよい感想だった。アクダイカーンはもういない。
そんなことはずっと前から分かっていることだ。しかし今、ダークフォールの玉座が
空のままになっているのを見たときほど満と薫がそれを実感したことはなかった。
「……シロップ」

薫が、少し離れた後ろから自分たちの方を見ているシロップに声をかける。
「え?」
急に声をかけられたシロップは驚いたように声を上げた。
少し上ずった声なのは慣れない場所に緊張しているからだろう。
「手紙、持ってきてくれた?」
満が振り向くと「あ、ああ……」とシロップは答え、
歩いてきた満に「これだろ」と二人の手紙を手渡した。
「ありがとう」
満はそれを受け取ると再び桟橋の先端に戻る。シロップはそのまま後ろに下がった。
この桟橋は満と薫、二人しか乗ってはいけないような気が何となくしていた。

桟橋に立つ満の身体が月のように柔らかな光を帯びる。咲と舞はきゅっと身体に
力を込めながら二人が次にどうするのか見ていると、満は右手で、薫は左手で手紙を
持った。薫の身体を取り囲むようにして生れた小さな風が手紙を二人の掌から
浮かび上がらせ、湖へと舞わせる。咲と舞が見ている前で、光に包まれた手紙は
湖へと落ちゆっくりと濡れ、沈んでいった。

「さようならアクダイカーン様……」
満と薫の口から示し合わせたように同じ言葉が漏れた。そのまま静かに、
一同はダークフォールを出る。一同が去ったあと、ひかるはダークフォールを再び闇へと還した。

「わあっ!?」
どさどさと咲たちの身体が砂浜に投げ出される。
「あ、帰ってきた!」
海岸で待っていたラブは咲たちの姿が再び海岸に現れたのでほっと安心する。
大丈夫だと思ってはいたもののやはり姿を実際に見るまでは心配だ。
「キュアキュア〜」とシフォンが美希に抱きついた。
「もう、シフォン。心配したんだから」
美希が軽くシフォンの頭を小突く。せつなは気まずそうにちらちらと満の方を見ていたが、
アカルンがぴゅんと飛んで満に近づいた。満が手を伸ばすと、その上に乗って声を出す。
「あ、アカルン」
祈里がその様子に気づいた。
「何て言ってるの?」
満が尋ねる。祈里はせつなを振り返り、「せつな、翻訳してあげたら?」と話を振った。
「え、……その、行きたいところには行けたかって言ってるわ」
「ああ、あなたの力だったの」
満は納得したように頷くと、「ありがとう。行けたわ」とアカルンに答える。
アカルンは嬉しそうにきゅうきゅうと鳴いてせつなの肩にぴょんと跳び乗った。
「あなたのパートナー?」
「ええ、まあ」
せつなが簡単に答えると、
「そう……ありがと」
と満はせつなにも小声で礼を言った。

その夜、満は久しぶりに薫と二人きりでひょうたん岩に座っていた。涼しい風が心地よい。
ジュースとコップも持ってきて、もうすぐ見えるはずの月見と洒落こんでいる。
「いい風ね、今夜も」
「そうね……」
夜風に晒されて鋭敏になった満の神経がわずかな時空の歪みを感知した。
「お客さんも来たようね。珍しいわ」
アカルンと共にせつながその姿をひょうたん岩の上に現した。自分が頼りない
岩の上にいるのに気づいたらしく、驚いてよろめき落ちそうになるのを薫の腕が捕まえる。
「な、なんでこんなところにいるの!?」
抗議めいた声で尋ねると「ここが私たちの好きな場所なの」と満があっさりと答える。

「そう……」
「座れば?」
満に言われて、せつなはひょうたん岩の空いている場所、満の隣に腰掛けた。少し窮屈だ。
「ジュース飲む?」
薫に言われ「え?」と見上げると、紙コップに入れたオレンジジュースを「はい」と手渡される。
「あ……ありがとう」
「で、今は何しに来たの?」
満に言われ、せつなはコップを持ったまま
「ちょっと聞きたくて……、ダークフォールに行ったの?」
と尋ねる。
「ええ、そうよ」
「気持ちは、分かってもらえたの?」
「さあ? ……」
「さあ、って」
せつなが呆れたように問い返すと、
「会うことはできなかったから」
と満は答える。
「そうなの……」
「でも、手紙は置いてきたから」
「そう、なの」
満は穏やかな微笑を浮かべている。ほら、と東の空を指差した。
満月がその片鱗を見せ始めている。
「月が昇ってくるわ」
「ええ、そうね……」
「これが、私たちが咲と舞に教えてもらったことなの」
「え? どういうこと?」
きょとんとした声のせつなに、後ろから薫の声がした。
「月や風や、世界がこんなにも美しいってことよ」
「あなたはラブたちに何を教えてもらったの?」
今度は満がせつなに尋ねる。えっと、とせつなは詰まった。
「し、幸せになること……よ」
「そう」
なれるといいわね。そう答える満は決してからかっている様子ではなかった。
やがて山の陰から昇って来た月が岩の上の三人を明るく照らし出した。


翌日――、
咲と舞、満と薫の四人は荷物を抱えてナッツハウスを訪ねた。
「いらっしゃいませー」
ちょうど店にいたうららが出てくる。「あ、皆さん」と咲たちを見てぺこりと頭を下げた。
「うらら、シロップいる?」
咲が聞くとうららは残念そうな表情を浮かべた。咲たちに気がついたのぞみとりんが
奥から出てくる。
「また仕事で出かけてるんです。今日はちょっと遠いみたいで、
 帰るのは夜になるかもしれないって」
「あ、そうなんだ……」
咲は少しがっかりしながら「じゃあ、みんなに預けておこうか」と満と薫を見る。
「そうね」と満は一歩前に出ると、
「これをシロップに渡しておいて貰えるかしら?」
と手提げの紙袋をうららに手渡した。
「え? これ、何々?」
うららの背後からのぞみが興味津々といった様子で顔を出す。
「シロップさんホットケーキが好きだって聞いたから、満さんと薫さんが作ったのよ」
舞がにっこり笑って解説した。
「え? 本当? 満ちゃんと薫ちゃんが!? シロップに!?」
「え、ええ……」
「まあ……」
のぞみの勢いに満と薫が押され気味だ。
「あの〜……私たちの分は……?」
「ちょっとのぞみ、ずうずうしいこと言わないの」
後ろからりんがのぞみの袖を引っ張る。
「シロップが手紙届けてくれたから、二人からのお礼なんだよ」
咲が説明する。うららは紙袋をテーブルの上に置くために一旦離れたがすぐに戻ってきた。
「シロップ、ちゃんとお届けできたんですか?」
うららはとても晴れがましそうな表情だ。
「ええ。最高のタイミングで届けてくれたわ」
「そうなんだ〜」
のぞみは満面の笑みを浮かべた。詳しい事情は分からないが、
今の満と薫の様子を見ていれば、この前ここに来たときのような重苦しい悩みが
晴れていることは分かる。二人のそんな変化も、それをシロップが助けたらしいと
いうことも何だか嬉しい。
「そうそう、」
りんが思い出したように店の奥からカレンダーを持ってきた。
「みんなの予定聞いたら、八月のこの週、」
と八月の第一週を指差す。
「ここが空いてるみたいだから、ここプリキュア合宿にしたいんだけどいい?」
「あ、決まったんだ!」
「そうそう、かれんさんの別荘も準備して待っててくれてるって。
 でねでね、水着は絶対持ってきてね!」
「別荘……べっそう……ああ、いい響き〜」
初めての「別荘」という言葉に咲がうっとりとしていると、
満がりんにPANPAKAパンの袋を手渡した。
「ん? これは?」
「これはあなた達の分よ。PANPAKAパンのチョココロネ。人数分あるから」
「ありがとう!」
りんの横からぱっとのぞみもその袋に手を伸ばした。
「ありがと〜、えへへ、楽しみ」
と今にも全部食べてしまいそうな勢いだ。
「あ、あの、かれんさん達の分も一緒に入ってるから……」
残しておいて、と薫が言うとりんが「責任持って管理するから」と妙にかしこまって答え、
「ほら、のぞみ! パンはおやつの時間にみんなで食べるから!」
と袋を持ち上げてのぞみから引き離した。

ナッツハウスを後にして、咲たちは今度は若葉台に向った。満の手にはもう一つ、
PANPAKAパンの袋がある。何かと迷惑をかけたなぎさとほのかにお礼とお詫びに
行くつもりだ。
電車に乗って一時間と少し。雪城家まではあとわずか――というところで、
一同の足が止まった。
「咲! 舞!」
と後ろからラブの声がする。四人が振り返ると、せつながドーナツの箱を持って、
ラブたち三人がそれを取り囲むようにして後ろから歩いてきた。
「ラブさんたち、どうしたの?」
「この前ほのかさんたちに迷惑かけちゃったからちゃんとご挨拶に行こうと思って」
と美希が答える。せつなが持っているドーナツの箱はそのためだろう。
「咲ちゃんたちは?」
と祈里に尋ねられ、「私たちも同じだよ。ほら」と咲は頭を掻きながら満が持っている
袋を見せた。
「あ、だったらせつなと満が二人でほのかさんのお家に行ってきたら? その方が仲直りしたって分かりやすいから!」
いいアイディア思いついた、と言うようにラブが言うと、
「あ、それいい!」「そうね!」と咲や舞も賛成した。「え、」とせつなは一瞬
躊躇したが「行くわよ」と満がさっさと歩き始めたので「ええ」とそれについて行った。

二人が雪城家に並んで向っていくのを見て一同はほっと安心する。
「……ほのかさん、パンとドーナツ両方とも食べられるかしら」
変な心配をしている薫に、
「なぎささんがいるから大丈夫じゃない? 八割くらいはなぎささんが食べるわよ、多分」
と美希が答える。なぎさとほのかがドーナツとパンを食べる光景が容易に想像できて、
六人は思わず笑ってしまった。


-完-

 ←押していただけると嬉しいです。



前へ
コラボSS置き場へ戻る
indexへ戻る