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  第一話 闇の邂逅

「兎追ーいし かの山〜 こーぶーな釣ーりし かの川〜」
みのりが歌いながら牛乳をコップに注いでいる。
「『おいし』って、おいしいって言う意味じゃなくて追いかけているって
 意味なんだって」
少し得意そうに薫に説明してからコップを傾けて一息に飲み干すとまた牛乳を注ぎなおした。
満はテーブルについて今日のおやつのチョココロネにいつ手を伸ばそうかと気配を窺って
いる。三時頃の日向家ではしばしば見られる光景だ。咲と舞が加わることも多いが、
今日はたまたま満と薫だけがみのりといっしょにリビングでおやつを食べることになっていた。
「はーい、満お姉さんも牛乳」
かたんとテーブルの上にコップを置き、みのりと薫は隣になるようにテーブルについた。
これでようやくおやつが始まる。
「みのりちゃん、さっきの歌は誰かに教えてもらったの?」
いただきますという言葉と共にコロネに手を伸ばしてからすぐ、満が尋ねた。
うんとみのりは大きく頷く。
「この前お母さんが歌ってたから教えてもらったんだ!
 ふるさとが凄く綺麗だっていう歌なんだって」
「へえ……」
柔らかい笑みを浮かべた薫にみのりは、
「ねえ、そういえば薫お姉さんや満お姉さんが前に住んでいた町ってどんなだったの?」
と無邪気に尋ねる。
「え?」
「夕凪町に引っ越してくる前の町、どんなだったの?」
「え……」
――それは……
ダークフォールにいたことなど言えるはずもない。薫が答えに窮していると、
「前の町より夕凪町のほうがずっと綺麗よ。ね、薫」
満がさりげなく助け船を出す。
「へえ、そうなんだあ」
「え、ええ……」
みのりが満の言葉に納得したようでそれ以上は聞いてこなかったので薫はほっと安心し
内心で満に感謝した。

ゴーヤーンを倒してから、満と薫はごく普通の中学生として夕凪町で暮らしていた。
ごく普通のとはいっても、二人の生命を現在保っているものは精霊の力だ。
更には、滅びの力もまた維持していた。
だから今でも、ひょうたん岩に飛んでいくことだってできる。
とはいえゴーヤーンを倒してからと言うものこの力を戦いに使ったことはない。

住居は夕凪中の学区内にある。二人が「ふしぎな力」で夕凪中に転校してきた時に
書類に記入されていた住所に行ってみると、ちょうど都合良く空き家になっていたので
――「ふしぎな力」の効果だろうとフラッピたちは言っていた――そこに二人で住んでいる。
少しおかしなことを言ってしまいそうになることもあったが、
咲や舞たちのフォローでそれほど大事にはならずにすんでいた。

PANPAKAパンで夕食をご馳走になってから二人の家に帰ってくると、
薫は自分の机に向って宿題を始める。満はベッドにごろ寝して枕元においてあった
雑誌をぱらぱらとめくった。あまり興味なさそうにしていた満だったが、
ある記事を見てふと表情を変える。

「薫ー、これ見て」
ベッドに仰向けに寝転がったまま、満は顔の上にかざしていた雑誌を持った腕を
薫の方に伸ばした。机に向かっていた薫はちらりとそちらの方を見やるが、
「持ってきて」と一言だけ答えてまた教科書に目を落とす。
手を伸ばせば届かない距離でもないが、伸ばそうという気が起きない。

背後で本が空を切る音がした。薫が首を右に傾けると雑誌はちょうど空いた空間を通り、
薫の目の前の机の上にばさりと音を立てて落ちた。
「満っ!」
あまりに行儀が悪い。怒ろうとした薫に満の右腕が絡みつく。
「ねえ薫、このページ」
薄い雑誌を軽くめくると、「大特集! みんなの好きなおやつコーナー!」という
ページが出てくる。
「これ見て」
左手の人差し指で満は小さな囲み記事を指した。「四つ葉町のドーナツ屋さんに注目!」
という記事だ。
満に首を押さえられている薫は振り向くこともできず、ただその記事を読む。
ハート型に穴の開いたドーナツで有名で、最近はこれを食べると友達との関係が強くなる
なんて噂も出始めているらしい。

「……これがどうしたの」
「咲と舞に内緒で買ってこない? プレゼントして、四人でおやつに食べましょ」
「こんな噂のこと信じてるの?」
「別にそういうわけじゃないわよ。ただ、そういうこともしてみたいだけ。
 いいでしょ?」
いい加減とも取れる満の言葉に薫の表情は和らいだ。
――まるで普通の女の子みたいね、満。
口にこそ出さないがそんなことを思う。その思いは薫の胸を暖かくするのに十分だった。

「いいわよ。……ただし、条件があるわ」
「条件?」
満が腕にこめた力を緩めた。薫がやっと満を振り返る。
「行き方は満がちゃんと調べておくこと。……それと、毎日ちゃんと行儀良くすること」
「はいはい」
満が軽く肩をすくめた。


二人が四つ葉町に出かけたのはそれから数日後のことである。
電車とバスを乗り継ぎ、夕凪町から一時間程でこの町に着く。
「満……」
バスを降りた薫が満に向かって厳しい表情を見せる。満もうんと頷いた。
この町は何かがおかしい。昔感じていたような気配が町に充満しているように思える。
精霊たちが今ここにいれば、「嫌な感じがするムプ!」「恐いププ!」と大騒ぎしているだろう。
「……満、このことを知っていてここに来たの?」
満は首を振った。
「ただの偶然よ。でも、何が起きているのかしら」
「ドーナツ屋さんがいる公園って言うのはどっちにあるの?」
「ちょっと待って」
満はかばんから地図を取り出すとあたりの建物と地図を見比べ、「こっちね」と指差す。
二人が感じている邪悪な気配が弱まっていく方向だ。
つまり、邪悪な気配の元があるとすればドーナツ屋さんとは逆方向である。

「分かった。じゃあ、満はドーナツ屋さんに行ってて。私はこっちに行ってみる」
「独りで行く気?」
「様子を見たいだけよ」
薫は諭すように満の肩に手を置いた。
「もしかするとフィーリア王女に相談しなければいけないような事態かもしれないし……、
 情報を集めるのが最優先よ。ドーナツ、早く行かないと売り切れるかもしれないんでしょ」
「でも」
「私だって食べたいわ、そのドーナツ。だから買っておいて」
一瞬満は俯いたが、「分かったわ」と答えた。
「深追いはしないで」
「分かってるわ。危なくなりそうだったら満を呼ぶから」
満と薫はそのまま左右に分かれた。

ドーナツ屋さんがいつもいる公園に来て満が驚いたのは、
少し長い列ができていたということが一つ。それともう一つ、この場所でもわずかながら
怪しい気配が強まっていたことだった。
そ知らぬ顔をして列に並びながら満は意識を集中する。
――この気配の元の一つは……
「はいはーい、列はこちらですよ〜」
妙に愛想よく列の整理をしている中年のサラリーマン風の男性。
今日は手伝いか何かだろうか。
「ブンビーちゃん、悪いね〜」
ドーナツ屋の店主が声をかける。
「いえいえ、このくらい。……ほかの方の迷惑になっちゃうんで
 こっちに並んでくださいねー」
満はブンビーという名の男の誘導にしたがって場所を少し移動した。
気配こそ少し怪しげだが、誰かを攻撃しようという様子はない。
警戒する必要はほとんどないだろう。
もう一つの気配の元は満の数人前に立っている小学生くらいの男の子と
幼稚園くらいの男の子の二人連れだ。気配は幼稚園くらいの男の子からしている。
その子が一つあくびをした。

「あくびなんかするなよ、ひかる。まだ真昼間だぞ」
保護者といった様子の小学生の男の子の方がたしなめる。
女の子ばかりが並んでいるこの列でこの二人連れは少し異質だが、
本人たちはあまり気にしていないようだ。
「だって昨日お姉ちゃんが中々来なかったんだもん」
「来ないって?」
「いつも寝るときは本を読んでもらってるんだけど、昨日はお姉ちゃんが来るのが
 遅かったから寝るのも遅くなっちゃった」
「お前のお姉ちゃんは優しいからいいよなあ」
「なぎさお姉さんも優しいってお姉ちゃんが言ってたよ」
「弟には厳しいんだよ」
他愛のない会話を続けている。
こちらも、気配こそ少し怪しげだが誰かを攻撃しようという様子はない。

ふっと満は口元を歪めて自嘲の笑みをこぼした。恐らく自分も、見る人が見れば
「気配こそ少し怪しげだが誰かを攻撃しようという様子はない」存在だろう。
今の二人も満の気配に気がついていても黙っているのかもしれない。
自分たちと同じように――、緑の郷を滅ぼそうとしながらも結局この世界を
守りたくなった存在はそれなりにいるのかもしれない。満はそんなことを思った。

――ここね。
一方その頃、薫はとある洋館にたどりついていた。巨大な建物だ。
この町に充満している邪悪な気配は明らかにここから発している。
ダークフォールの幹部たちのような者がこの中に住んででもいるのか……ここの住人には、
緑の郷への害意がある。

ぐるりと洋館の周りを一周したが、中の様子を窺うことはできない。
窓にも人影は見えなかった。久しぶりの緊張感に薫は身が引き締まるような感覚を覚える。
道に立ち止まり薫は無言で考えた。このまま一度満と合流するか、
それとももう少し調べるか。
中に入るのは満が来るまで止めておいた方がいいだろうが、
もう少し住人達の様子も知りたい。満を呼びに行ってもいいのだが、
この建物から目を離そうという気にもなれなかった。

――こうすれば……。
人目のない事を確認して薫はダークフォールの戦闘服姿へと変身した。
久しぶりに灰色の姿に身を包むと表情までが険しくなるような気がする。
これで、満は薫が臨戦態勢に入ったことに気づくはずだ。
洋館の中の住人も薫の存在を察したかもしれないが……、薫の目の前でゆっくりと
洋館の扉が開いた。中学生くらいの濃紺の髪の女の子が中から出てくる。
彼女の冷たい視線が薫を刺した。互いに無言のまま二つの視線が交錯する。


「うわっ、こんなに並んでる!」
ようやくカウンターの前まで来て、あとはドーナツができるのを待つばかりというところで
列後方から聞こえた声に満は「ん?」と振り返った。「こんなに」と彼女は言っていたが
列はだいぶ短くなっていたので実のところ後数人だ。
薄い黄色の髪の女の子が青、山吹色の髪の女の子二人と一緒に最後尾に並んでいる。
彼女達の声は良く通る。
「なんか雑誌に載ったとかで人気なんだって」
「ラブ、並ぶの?」
「うん、せつなに持って行きたいから」
「せつなってこの前のあの子?」
「うん、この前せつなにドーナツ半分分けてもらったから今日は私がせつなにあげようと
 思って……」
――ふうん?
神経を研ぎ澄ますと、彼女達からは普通のの人間とは少しだけ異なる気配が漂ってくる。咲と舞に少しだけ似た……、
――もしかすると、……プリキュア?
邪悪な気配のあるところにはプリキュアがいるのかもしれない。
そんなことを思った満の背筋にびくりと寒気が走る。
――薫が変身した……! 何が起きたの!?
「はーいお嬢さん、ドーナツ四つね」
「ありがとうございます!」
ひったくるように満はドーナツを受け取り走って薫を追った。

「何か?」
洋館から出てきた少女はぶっきらぼうな口調で薫に問いかける。
その言葉には温かさが微塵も感じられない。薫は無言のまま少女を見ていた。
――この子、昔の満に雰囲気が似てる……。
薫にとっては鏡に映した昔の自分の姿に似ている、ということでもあった。
邪悪な気配を身に纏っているというだけではない。
張り詰めた緊張感が強烈な意思を感じさせる。
その意思は、現在の満や薫とは恐らく相容れないものだ。

今の彼女の背骨になっているのは誰かへの忠誠心。
それが折れた時、彼女自身もおそらく折れてしまう。
少女は再度「何か?」と尋ねた。薫がただの人間でないことは既に分かっているだろう。
「なんでもないわ」
「……そう」
少女は薫に睨みつけるような視線を送る。

「薫っ!」
二人のにらみ合いの均衡を崩したのは満の声だった。すぐに薫の隣に立ち、事態を把握する。
「何かしたの?」
「いいえ、まだよ」
互いに囁きあい、……満はわざと大きな声を出した。
「ドーナツは買ったから、薫」
「え?」
少女から目を離さないまま薫はいきなり何を言い出すのかと言わんばかりの声を上げる。
「咲と舞の分も。……プリキュアの、分もね」
ぴくりと少女が眉を上げた。
「プリキュア? 何かしら、それ?」
そ知らぬ顔をして尋ねてくる少女に、「すごく温かい存在よ」と満は答える。
「聞いたことないわね」
「そう? あなたもいつか会うんじゃないかしら。あなたの運命、変わったりしてね」
少女の目の色が変わる。薫が満を守ろうと一歩踏み出す。
「あっ、せつな〜」
緊張を破ったのはまたしても声だ。
「ラブ!」
少女の顔が一瞬にして緩み笑顔を作る。満が先ほど公園で見かけた薄黄色の髪の少女がこちらに駆けて来た。
「あれ、友達?」
満と薫の姿を見て、ラブと呼ばれた少女がそう尋ねる。
「いえ、ちょっと通りすがっただけよ」
満はにっこりと微笑を浮かべてそう答えると洋館の少女に背中を向け「行こう薫」と
薫の手を引いてその場から歩き出した。数分歩けばバスの停留所だ。
「……満、あの子放っておいていいの?」
あの子というのは洋館の少女を指すと満にはすぐに分かった。
「放っておくわけじゃないわ。任せるの」
「任せる?」
「あの時来た黄色い髪の子、プリキュアよ。分からなかった?」
「……そうだったの」
薫は洋館の少女に神経を向けていたのだろうと満は思った。

バスが来た。二人は乗り込んで隣同士の席に座った。
「あの子が対峙すべきなのはきっとこの町のプリキュアだから。
 ……昔の私たちみたいに」
「そうね……」
薫は彼女の目を思い出した。儚い運命を受け入れてしまっているかのような目を。
「薫? どうしたの?」
薫の腕が急に自分の身体に巻きついてきたことに満は驚いた。
「別に。こうしたくなっただけ」
「……そう」
バスが乗り換えの停留所に着くまではまだしばらく時間がある。満は窓の外を見ていた。
風景は次第に緑が増え、夕凪町に近づいていく。……トンネルの中にバスが入ったときに
ガラスに映った自分の眼が先ほどの少女に似ているような気がして、満は思わず目を閉じた。

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