隣の部屋のガラス戸が動く音を聞いて、ラブは雑誌に落としていた視線を上げた。
シフォンとタルトはもうすやすやと寝息を立てている。
時計を見てみればもうとっくに午前零時を回っていた。
妖精二人を起こさないようにラブはそっと自分の部屋のガラス戸を開けてベランダに出る。

「……せつな」
せつなはベランダの手すりにもたれて空を見上げている。ラブが声をかけると
ゆっくりとせつなは振り向いた。
「ラブ」
「どうしたの? もう遅いよ」
あたしもまだ寝てなかったけど……と思いながらラブはせつなの隣に並んだ。
もう一時間以上も前に「お休みなさい」と言いあって、互いの部屋に引っ込んだのだが。

「なんだか寝付けなくて」
そう言って微笑するせつなの顔に、ラブの部屋から来る蛍光灯の光がつくる影が落ちている。
「どうして? 何か悩みごと?
「そんなんじゃないわ。たまたまよ」
せつなはまた空に視線を戻した。

「今夜は月は出ていないのね」
「あっ……そうだね」
ラブも空を見上げ、新月なのかもしれないね、と答える。
「また一週間もすれば、夜に月が見えるようになるよ」
「そうね」
一陣の冷たい風がさっと吹き抜け、二人の身体を冷やす。ラブは大げさに身を震わせた。
「もう大分寒くなってきたから、中に入ったほうがいいね」
「そうね……お休みなさい」
「お休み、せつな」
ラブとせつなはそう言い交わしてそれぞれの部屋に戻った。

電気を消している自室に戻ると、せつなはポケットからリンクルンを取り出した。
せつなのパートナーは、アカルン。その力を使えばどこにでも望む場所に
行くことができる。使おうか――と少し逡巡したものの、せつなは結局やめることにした。
この時間に人を訪ねるのはさすがに迷惑だ。
明日はミユキさんのダンスレッスンも入っている。眠れるだけ眠ろうと、
せつなはとにかく目を閉じた。


「1、2、3、4! ほらせつなちゃん祈里ちゃん、ワンテンポ遅れてる!」
翌日のダンスレッスン、せつなはいつもと大分調子が違った。
ステップの基本レッスンを終えて一休みの時間になると、
「せつなちゃん大丈夫?」
とミユキさんが声をかける。

「大丈夫です、今日はちょっと寝不足なだけで」
「本当に? 無理は禁物よ。倒れるまでやるなんてこと絶対にないように」
ミユキさんはちょっと重々しく念を押した。その点では前科もちのラブたちが
ペットボトルのスポーツドリンクをぶっと噴き出しそうになる。
「気をつけます」
そう答えてせつなもラブからペットボトルを受け取る。きっちり閉まっている蓋を
力を籠めて開け、半分ほどを一気に飲み込んだ。

家に帰って夕食後、せつなは「今日は早く寝ることにするわ」と宣言して
早々に部屋に篭ることにした。それを聞いたラブは「病気じゃないの?」と心配していたが、
「一晩ぐっすり寝れば大丈夫だと思うの」
というせつなの言葉を聞いて、
「そっか」
と安心したように笑った。

「じゃあ、明日も調子悪かったらその時は病院に行こうね」
「ええ、そうするわ。お休みなさい、ラブ」
「お休み、せつな」
ラブの目の前でせつなの部屋のドアがぱたんと閉まった。中から鍵をかける音がする。
ラブは一瞬部屋の中に入っていこうかと思ったが、鍵の音で思い直す。

――せつな、今日は本当にゆっくり休んだ方が良さそうだもんね……
「お休み」と心の中で再度呟き、自室に戻る。隣の部屋の様子が気に掛かったが、
何も聞こえてこないので諦めて宿題に取り組むことにした。


一方、せつなは自室に入るとすぐに分厚いカーテンを閉めた。これでもうこの部屋で
何をしていても誰にも気づかれないはずだ。パジャマから普段着に着替えると、
ポケットからリンクルンを取り出し、アカルンの力を呼び覚ます。
「……夕凪町へ」
赤い光がせつなを包み、部屋からはその姿が掻き消えた。


夕凪町にも秋が訪れ、木々はすっかり葉を茶色にしていた。せつなが歩くたびに
足元でかさこそと葉が揺れて寂しげな音を立てる。アカルンの力で運ばれたのは
夕凪中の近くだったので、せつなはゆっくりと坂を下り、もう一度今度は別の坂――森に続く方の――を登る。

「……」
目的地の家の前に着き、せつなはやや逡巡した。だが、思い切って呼び鈴を押す。
「はーい?」
少し不思議そうな声と共に扉が開いた。
「こ……こんばんは」
「せつな?」
家の主、霧生満はせつなの姿を認めて意外そうに目を細める。
満はもうパジャマ姿だ。

「入ってもいい?」
「ええ、いいけど」
満が大きくドアを開けたのでせつなはそこから「お邪魔します」と中に入った。

「薫は?」
「今ちょうどお風呂入ってるところよ」
満はせつなをリビングに通すと、いつも薫と二人で使っている食卓にせつなを座らせ、
紅茶を淹れた。

「今日はどうしたの? ラブと喧嘩でもした?」
「……違うわ」
マグカップに注いだ紅茶をせつなの前に置くと、満は自分の席に座って
紅茶を一口啜った。

「ならどうして? 来るなら昼間来ればいいのに」
「……その、」
紅茶を一口飲み込んだせつなは用件を告げようと口を開き、

「満、誰が来たの?」
風呂上りの薫が入ってきてその言葉を遮られた。
「せつなが」
「……ああ、そうだったの」
せつなは満と薫を見比べて目を丸くする。

「パジャマ、お揃いなの?」
正確には色違い。満は黄色、薫は水色を基調にしたパジャマだが、
基本デザインは同じだ。

「そうよ」
何でそんなことを聞くのかと満は言いたげだ。緊張感をぷっつりと断ち切られた気がして
せつなは、はあとため息をついた。正直、気が抜けた。

「それで、用件は?」
ポットの紅茶を自分のマグカップに注ぐ薫を横目で見ながら満が尋ねる。
「……その、」
一度切れてしまった緊張の糸をせつなは再び繋ぎ直した。
「二人に聞きたいことがあって……」
ぽつぽつと話すせつなの様子を見て二人も真面目な顔になる。

「その……最近何だか怖く……なって」
せつなは消え入りそうな声だ。満と薫は身動き一つしないでせつなの言葉を聞いていた。
「……二人は、私がプリキュアになった時の経緯、どのくらい知ってるの?」
「具体的にはほとんど知らないわ。ラブたちからも聞いていないし。
 ……私たちが知っているのは、何だか大変なことを終えてあなたがプリキュアに
 なったらしい、ということだけ」
満が答えると、そう、とせつなは呟いて簡単に経緯を説明した。
ナキサケーベのカードのこと、ピーチと戦ったこと、一度は寿命が尽きたこと。
満と薫は神妙な面持ちでそれを聞いていた。

「それで、最近ふと思うようになったの……、今私がこうしているのは、
 仮初めのものなんじゃないかって」
「どういう意味?」
薫が初めてせつなに聞き返した。
「私が生きてるのは、もしかするとプリキュアとして戦っているからで、
 使命を果たしたら寿命はまた尽きてしまうかもしれない……、
 そう思うと、無性に……怖くなって。
 私、ラブとずっと一緒にいたくて……」
ずっと前は、メビウスのためなら命なんて惜しくないと思っていた。
ラブと出会ってから、次第にラブと一緒に生きていたいと思う気持ちが
強くなっていった。だから、ナキサケーベは暴走した。
今も、命なんて惜しくないとはとても思えない。ラブと一緒にいたい。

満と薫は切々と語るせつなの不安そうな顔を見て自分たちも伏目がちになった。

「二人に、そんな怖さはなかったの?」
「……私たちは、」
満は薫の顔を見上げ、目を合わせて一回頷きあうと改めてせつなに向き合った。

「あなたとは事情が違うわ。滅びの国ダークフォールの目的は全てを滅ぼすこと。
 ダークフォールそのものもその例外ではないわ。泉の郷、緑の郷を滅ぼした後は
 私たち自身も消えてなくなるはずだったのよ。
 だから、私たちは最初からあまり生き延びることを考えていなかったの」
「……そうだったの」
せつなはぽかんと口を開いた。
「咲や舞、みのりちゃんと一緒に暮らせたら、と思ってはいたわ。
 でもそうなることは無理だろうと思ってもいた」
薫が満の言葉を補足する。

「……そうなの……」
せつなは気落ちしたような表情だ。相談できると思っていたのに
少し当てがはずれた、といった状態だ。
「そうね、ただ私たちがこうやってここに居られるのは……、」
満は考え考え言葉を繋ぐ。

「精霊たちのおかげよ。緑の郷の精霊たちが、私たちが生きることを望んでくれたから」
「どういうこと……?」
「つまりこの世界に生きる精霊達が、私たちに命を与えてくれたってこと」
薫が簡単に説明した。

「えっとそれって……つまり、私はどうすればいいの?」
せつなは怪訝そうな表情だ。
「さあ?」
「さあ、って」
薫の無責任とも取れる言葉にせつなはがっかりと肩を落とす。
「私たちに言えることは一つだけね。この世界に根付くこと」
「根付く?」
せつなは満の言葉に顔を上げた。
「そうよ。この世界を愛すること……私たちに言えることはそれしかないわ」
愛する……せつなは満の言葉を反芻した。

「ありがとう」
せつなはガタリと椅子から立ち上がる。
「もういいの?」
満がカップの中の最後の紅茶を飲み干す。
「ええ……精一杯、頑張るわ」
ありがとう、ともう一度言ってせつなはアカルンの赤い光に包まれて
満と薫の前から姿を消した。


「せつなぁっ!」
自室に戻った時、その中央に居るラブの姿を見てせつなは驚き思わず壁際に退いた。
ラブの目は涙目だ。

「もう、どこ行ってたの!? 心配したんだからね!?」
「え、ラブ、どうして私の部屋に……?」
せつなの視線が窓に移動する。カーテンが細く開き、鍵が開いている。
「せつな、だめ! 勝手にでかけちゃ、だめ!」
幼児のような声にせつなははっとした。
――シフォンの力で、開いたの……!?
「あんまりせつなが元気ないからちょっと気になって部屋に入ってみたらいないんだもん!!
 お母さんやお父さんたちに話せることなのかどうかも分からないし!!
 美希たんとブッキーにはもう連絡して、探しに出てもらっちゃったよ!」
「……ごめんなさい」
そうだ二人に知らせなきゃ、とラブはすぐに美希と祈里に電話を始めた。「うん、せつな
帰ってきたから」と話すラブの表情は硬い。

「で、せつな?」
電話を終えてラブは改めてせつなに振り返る。
「どこ行ってたの?」
「ごめんなさい。夕凪町にちょっと……」
「夕凪町? 咲たちのところ?」
「いえ……満と薫に会いに」
「なんで、言ってくれなかったの?」
「ごめんなさい、ちょっと……相談したいことがあって」
「相談?」
こくんとせつなは頷いた。やっぱり何か悩みがあったのかな、とラブは考える。
「あたしじゃ駄目なことだった?」
「……経験者に聞きたいことだったの」
「経験者?」
何の? とラブは聞きたかったが、
――これ以上聞いてもせつなは何も言わないかもしれない……
と思い直す。
「ね、せつな」
聞く代わりにラブはせつなのことをきゅっと抱きしめた。

「あたしに言いにくいことだったら言わなくてもいいけど……、
 でも、どこに行くかは言って行ってよ」
「……ごめんなさい」
三たびせつなは謝った。ラブはまだせつなの身体を離さない。
せつなは目を閉じて、その温かさを感じていた。

-完-

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