若葉台から夕凪町に来る時は電車を何本か乗り継ぐ必要がある。
最後に乗るのは車両の少ない、可愛らしい電車だ。
どこか懐かしい感じの小さな電車に乗って――毎日通勤に使っている人ももちろん
いるのだろうにそんな感じがしないのはきっとまだこの電車を見慣れていないからだ――、
ほのかはコトコトと揺られながら夕凪町を目指していた。

駅に降りたのはほのか一人。少しきょときょろと辺りを見回して改札口を見つけると
そちらに向う。
「ほのかさん」
改札の向こうから舞の声がする。ほのかはにっこりと笑って手を振ると、精算を
すませてから改札口の外に出た。

「お久しぶりです」
「久しぶりね、舞さん。わざわざ迎えに来てもらって……」
いいえ、と舞は首を振りながら少し不思議そうに、
「今日はなぎささんやひかりさんは?」
と尋ねる。
「なぎさはラクロス部の練習だそうなの。ひかりさんはタコカフェのお手伝いがあるし……、
 だから、今日は私だけで。咲さんたちは、今日は?」
舞の案内で二人はゆっくり歩き始めた。
「咲も部活のミーティングがあるそうなんです。後から来るかもしれませんけど。
 満さんと薫さんは今日は当番の日で、放課後先生の手伝いをしないと
 いけないみたいで」
太陽を薄く覆っていた雲が風に乗って動き、陽の光が二人に降り注いだ。
ほのかは眩しそうに目を細めて空を見上げる。

「やっぱりこちらの方が若葉台より空が綺麗な気がするわ」
「そうですか?」
「ええ。透明度が高いって言うのかしら」
舞も空を見てみる。花があちこちで咲き始めたこの季節、いつもよりは
空に霞がかかっているような気がする――、
「一雨降ったらもっと綺麗な空になりますよ」
「一度見てみたいわね」
「雨が降る時が確実に分かるといいんですけどね」
「あるいは降らせるとか……」
ぽつりと呟いたほのかの一言に舞は思わず目を丸くした。そんなことができてしまうのだろうか、
という思いが胸をよぎる。
「え?」
「まだそんなことできないけど」
まだ――ということはいずれはできるのだろうか。舞はなぎさの言葉を思い出していた。
『ほのかってすごくってね、勉強ももちろんなんだけど科学部だからどんなものでも作れるんだよ』
『何でも――ですか?』
『そうそう、何でも! 飴つくったり、本当に何でもできちゃうんだから!』
横浜の遊園地で遊んでいる時だったか、なぎさは舞にほのかのすごさについて
興奮気味に十分近く話していたものだった。

今回、ほのかが夕凪町に来たのも科学部の活動の一環である。
舞の父が天文学者の美翔弘一郎であるというのを知って是非科学部に来て
一度講演会――というには部員の数が少なすぎるので、お話し会とでも言った方が
イメージ的には当っているかも知れない――をしてほしいと頼みに来たのだ。

もっとも、正式な依頼は顧問の先生を通じて学校から行う。
今回は「友達のお父さんである」ということを生かして、個人的に宇宙の話をしてもらい、
講演会についてOKしてもらえそうかどうかさりげなく聞いてみるつもりである。

「ここです」
「わあ……」
美翔家に着いた。真っ先に目に入るのはもちろん、天文台だ。
「あそこに望遠鏡があるの?」
「ええ。夏休みになると咲やクラスのみんなと一緒に見たりするんですよ」
「家で普通に観測ができるっていいわよね」
ほのかは本当に羨ましそうだ。
「夏休みになったらなぎささん達と一緒にどうですか? 泊りがけでも……」
「え、でもそれはご迷惑なんじゃない?」
「そんなことないですよ」
もし本当にそんな風になったら咲が喜びそう、と思いながら舞は「どうぞ」と
家のチャイムを押しながらほのかを招きいれた。「お邪魔します」と小さく言いながら
ほのかはやや遠慮がちに中へと入っていく。

「お帰り、舞」
二人を出迎えたのは学校から帰ってきたばかりの舞の兄、和也だった。まだ制服もそのままだ。
「お邪魔します」
ほのかがぺこりと頭を下げると「いらっしゃい」と和也は舞に良く似た表情で
柔和な笑みを浮かべる。
「お兄ちゃん、お父さんは?」
「ああ、ついさっき電話があったよ。道が混んでるんで、30分くらい遅れそうだって」
「え、そうなの!? ほのかさんごめんなさい、お待たせしちゃうみたいで……」
「ううん、気にしないで。お忙しいのに私が押しかけてきたんだから」
ほのかは舞を安心させるように笑って見せると、
「そういえば、これ」
と手に持っていた箱を手渡す。
「若葉台で評判のお店で買って来たケーキなの。もし良かったら」
「あ、じゃあ紅茶淹れますから食べながら待ってましょうか」
和也が服を着替えに階段を駆け上がっている横で舞はほのかを案内してリビングに向った。

 * * *

ほのかが夕凪町に着いてから約十五分後。なぎさとひかりがほのかと同じように
駅に降り立った。
「なぎささん、こっちですよー!」
改札の向こうで待ち構えていた咲がぶんぶんと大きく手を振った。
「咲、すぐ行くからちょっと待っててー!」
小銭を取り落としそうになりながら慌てて精算を済ませると、なぎさはひかりの手を引いて
改札の外に走り出てきた。

「久しぶり、咲っ!」
「お久しぶりです、咲さん」
「お久しぶりです〜、なぎささんもひかりも!」
なぎさは満面の笑みを浮かべた咲に釣られるように笑い顔になりながら、
「それで舞にはばれてない?」
と声を潜める。ぐっ、と咲はピースサインを突き出して、
「大丈夫です! ほのかさんはどうですか?」
「大丈夫! 全然ばれてないから!」
とにやっと笑った。

これはなぎさの作戦である。
ほのかが舞の家に行くという話を聞いてすぐこれを思いついたのだ。
ほのかには「用事がある」ということにして一人で先に行ってもらい、
ひかりと一緒に後から夕凪町に行って咲と合流し、ほのかと舞の前に突然現れて
驚かせようという計画である。

「ほのかもう来てるよね」
「多分そうです、じゃあ舞の家に行きましょう!」
咲が先頭に立ち、なぎさが続いて走り出す。ひかりは遅れないように懸命に走った。

咲となぎさ、二人の足なら駅から舞の家まで5分もかからない。
途中、遅れがちなひかりを待つために少し止まることがあっても5分程度で
三人は舞の家に着いた。
「うわ、舞の家ってこんななんだ……」
「本当に天文台があるんですね」
「こーんなに大きな望遠鏡があるんですよ!」
呆然と天文台を見上げているなぎさとひかりに、咲が大きく腕を広げて少し自慢げに説明すると、
「へえ〜今日見せてもらえるかなあ」
となぎさが答える。
「まずほのかさんを驚かすのからですよね!」
「そうだ、ほのかどこにいるんだろう?」
なぎさがきょろきょろと辺りを見回すがこの近くにはほのかの姿がない。
「多分あっちだと思うんですよね……」
と咲は手招きしてなぎさとひかりと一緒に舞の家の周りを回ると、
「ここから見える部屋にいると思うんです」
と背伸びした。背伸びをすると咲の身長ではぎりぎり、舞の家のリビングを
見ることができる。なぎさもそれに倣って塀にしがみつくと
背伸びをして家の中の光景を見て、
「えっ!?」と思わず声を上げた。

 * * *

ほのかの前には、持ってきたケーキと紅茶のカップ。その隣には舞が座っている。
二人の向かいにいるのは舞の兄だ。制服を脱いですっかりリラックスした様子で
ソファに座っている。
「それじゃ雪城さんはこの本も読んだことがあるの?」
「はい、学校の図書館にあったので……」
和也の前には、部屋から持ってきた本が何冊も置いてある。
基本的に科学や宇宙の本で、科学部のほのかがどんなことに
興味を持っているか知りたくて持ってきたようだ。
「この本、訳文が少し分かりにくくなかった?」
「そうですね、第三章のところとか……基本的にはいい本だと思うんですけど」
「ああ、この辺りとかね」
ほのかに言われた第三章を和也が開くと、ほのかは
「そうなんです、ここのところ前後の繋がりが何となくおかしいんですよね」
と中の一文を指差した。
「多分ここの接続詞は『そして』じゃなくて『しかし』みたいな逆接の方がいいんだろうね。
 原著がどうなっているかは分からないけど、日本語としては」
「そうですよね。そういえば原著の方は改訂版が出たって聞きましたけど……」
「ああ、もう訳本の出版作業も始まっているって話だよ」
「原著は読まれるんですか?」
「うーん、一度自分で読んでみたいとは思ってるんだけどなかなかね」
舞はにこにこしながら黙って二人の話を聞いていた。
二人が話していることにはついていけていないが、楽しそうに話している二人の
傍にいるとどこか気持ちが落ち着く。


「ちょ、ちょっと咲、あの男の人誰?」
塀の外でその光景を見ていたなぎさは慌てふためいて咲に尋ねる。
「舞のお兄さんの和也さんですけど、何だか……」
「な、何かすごい仲良さそう……だよね」
なぎさの言葉に咲はこくこくと首を縦に振る。
――和也さん、ほのかさんみたいな綺麗な人だとやっぱり……
そう思うと咲は急に元気がしぼむような気がした。隣のなぎさも、
――ほのかって格好いい人と並ぶとやっぱりお似合いなんだよね……
と、落ち込むことでもないはずなのになんだか落ち込んできた。

「あの、お二人とも……?」
咲となぎさの二人からみるみるうちに快活な雰囲気が消えて行くのが見えるような
気がしてひかりがおずおずと声をかける。
二人からは息を合わせたようなため息しか返って来なかった。

 * * *

「ねえ、満」
「薫、何か言いたいの?」
その頃、満と薫は先生の手伝いを終えて坂を下りながら下校の途についていた。
「人の家の塀に張り付いて中を覗き見している人って不審者とか何とか言うんじゃなかったかしら」
「そうね……そういう言葉を聞いたことはあるわ」
「そういう人は注意すべきよね」
「……ええ、まあ。あまり見ないようにしたかったんだけど」
満と薫、二人の視界の端には舞の家が小さく映っている。咲となぎさ、それにひかりの姿も
二人にはしっかりと見えていた。

「見ないようになんて言ってる場合じゃないわ、満。行くわよ」
薫はそう言うと、たんと地面を蹴って音もなく駆けはじめる。
「……はいはい」
面倒くさそうに薫の後を追って走り始めた満は、たまたまこちらを見たひかりと目があった。
唇に人差し指を当てて「しっ」というジェスチャーをするとひかりが開きかけた口を慌てて閉じる。

風のように薫は咲となぎさの背後に回りこむと、咲の襟首をむんずと掴んで塀から引き剥がした。
「わわわっ!?」
「何をしているのかしら?」
「……って、薫!?」
薫が手を離すとどさっと咲は地面に落ちる。気まずそうに咲が汚れを払って立ち上がり、
なぎさも塀から離れた。

「何をしているのかしら?」
腰に手を当てて薫は同じ質問を繰り返す。その表情は厳しく、中々許してくれそうもない――、
「いやあ、その……」
咲が頭をかいた。
「舞とほのかがどんな話してるのか気になっちゃってさ、ついつい」
なぎさも照れ笑いを浮かべて何とかその場をごまかそうとする。
薫の背後にいた満がわざとらしく大きなため息をついて見せた。
「だったら直接乗り込んでいけば……」
「いや、そこはやっぱり舞やほのかさんのことびっくりさせたいし」
「そうそう、元々ほのかをびっくりさせようと思って来たんだから!」

「……誰をびっくりさせるの?」
塀の向こう側から聞きなれた声がしてなぎさはびくんと身をすくませる。
「ほ、ほのか!? 何でそこに!?」
塀の向こう側にはほのかと舞が立っていた。和也は部屋の中から一同の様子を見守って
いたようだ。
「何でそこに、って……それは私が言うことでしょ? なぎさとひかりさんが何でここにいるの?」
「え〜とその、ほのかをちょっと驚かせようと思って……」
正直に答えると、ほのかは「もう、なぎさったら。ひかりさんまで巻き込んで」
と眉を顰めて見せる。

「ごめん、ほのか」
「もう……」
「あの、よかったらなぎささん達も上がってください」
舞がほのかとなぎさの間に割って入った。
「え、でもほのかと舞のお兄さんの話を邪魔したら悪いんじゃ……」
ねえ? となぎさが咲の方を見た。咲もうんうんと頷く。
「なぎさ、気を遣ってるの? 別にそんなことないわよ」
「え、そうなの?」
「ええ。ケーキは……ちょっとしかないけど」
「あ、お煎餅ならありますよ」
なぎさは咲と顔を見合わせた。これは中に入っておいた方がいいかもしれない。
「えっとじゃあ、お邪魔します」
「あ、なぎささん玄関あっちですから」
咲が前に立って玄関まで案内する。
その間にほのかと舞は家の中に入った。入ってみると、和也はカップを増やして人数分の
紅茶を用意しようとしているようだ。

「咲ちゃんたちも上がってくれるって?」
「ええ。すぐに来ると思うわ」
舞は台所の棚から煎餅の袋を引っ張り出して皿に盛り付けた。
ほのかはソファに戻ると、テーブルの上に開けておいてある本の写真を撫でた。

「本当に、蛙の被害は深刻みたいですね」
「全国的にはね。この辺りではまだそんなに見ないんだけど。雪城さんが住んでいる
 町の方ではどう?」
和也がティーカップをお盆に載せて持ってきて適当にテーブルの上に配置した。

こんにちはー、と声がして咲たちが玄関から入ってくる。
これからしばらく、ほのかと和也の蛙談義に付き合わされることになることを
彼女達はまだ知らなかった。

-完-

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