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寮の一階には食堂と呼ばれる共有スペースがある。寮の定員全員が集まってもゆとりを
持って座れるだけの広さがある部屋だ。もちろん調理もできるようになっているし、学祭の
前ともなれば寮のメンバーの所属するサークルや同好会の荷物があちらこちらに積まれるものである。
そういう時に便利に使用できるスペースだ。
滅多にはないことだが、寮生全員が参加する会議のようなものを開くときにもここを
使うことになっていた。今回もそれに該当する。
幸い、寮生は全員寮内にいたので数分後にはみんなが集まってくれた。
かれんが食堂の端に立ち、他のみんなは思い思いに席に座る。
こまちとうららはかれんのすぐ近くに座った。
みんなはこれから何の話が始まるのかと少しざわざわとしている。

全員が着席したのを見てかれんは咳払いを一つすると――それが合図になってみんなは
口を閉じた――話を始めた。
「みんなには突然集まってもらったけれど、ちょっと緊急のことなの」
緊急と言う言葉にみんながきゅっと緊張する。
「さっき、うららがシロップと一緒にいる写真を撮られたみたいなの。多分芸能誌の
 カメラマンに」
えっとみんながどよめいた。
「それってつまり……うららが可愛いから写真を撮られたってこと?」
こういう、全く分かっていない反応をするのはのぞみである。
「それは違うわね」
かれんは言下に否定した。
「うららが可愛いことが遠因ではあるけれど。芸能誌のカメラマンだとしたら、
 うららのスキャンダルを何かしらでっち上げてスクープにしたいだけよ」
「えーっ!?」
のぞみが叫ぶ。
「そんなのひどいですよ! スキャンダルをでっち上げるなんて! 写真を
 撮るだけならともかく!」
「のぞみ、あんたの気持ちは分かるけど……」
いきり立つのぞみをりんがなだめる。
「最近うららも注目されるようになってきたし、そういうしょうのないことを考える
 人も出てくるんだよ」
「だからって」
「のぞみ、だからね」
かれんが話を引き取った。
「私としては、これ以上写真を撮られてうららのスキャンダルが広がるようなことだけは
 避けたいと思うの。それでもんなに協力してほしいと思って集まってもらったのだけれど……
 協力してもらえるかしら?」
最後の言葉は、のぞみだけではなく寮生全員に向けられていた。
「もちろんです」「異議なし」
咲とラブが口々に答える。美希や舞たちも頷いているのを見て――のぞみやりんは、
もちろん協力するに決まっている――かれんが安心すると、
「それで具体的にはどうするの?」
というほのかの言葉が耳に入ってくる。
「まず、寮は完全に安全な場所にしたいの。もし不審な人を寮の近くで見かけたら、声を
 かけるなりなんなりして追い払ってもらえるかしら」
「分かりました!」
のぞみが大きな声で返事をしたが、
「それだけでいいの? 寮以外の場所ではどうするの?」
ほのかは更に食い下がる。
「うららの事務所には相談することになっているわ。それと、しばらくはこまちが
 うららと一緒に行動するから」
「え、こまちさんが? じゃあ私も一緒に……」
のぞみがそう言うと、こまちは笑って手を振った。
「初めは私にやらせて。期間が長引いて来たらのぞみさんやみんなに協力を
 お願いすると思うけど……最初からあまり大人数でない方がいいと思うの」
「……そういうことで、いいかしら。まずはこの寮に近づく不審な人を」
とかれんが話をまとめようとすると、うららが「あの」と椅子をがたんと言わせて
立ち上がった。みんなの方へと体の向きを変えると、
「みなさん、私のことでご迷惑かけてすみません。それと、みなさんも写真に
 撮られてしまうかもしれないので申し訳ないんですがくれぐれも気を付けて」
「大丈夫だいじょうぶ!」
のぞみが応える。ほのかの隣に座っていたなぎさも、
「気にしなくていいよ、うらら。じゃあこれからみんなでうららを徹底ガードね!」
とみんなを引き締める。うららが改めてお礼を言い、その場は解散となった。

 * * *

「とりあえずの方針は決まったわね、こまち。寮に怪しい人が来ていたらすぐにでも
 通報することにして……」
自室に引き上げてきたかれんがこまちにそう声をかけると、こまちは「そうね」と
答え、しばらく何かを躊躇っているように見えたが改めて口を開いた。
「かれん。かれんにはもう一つ、特別なことをしてもらいたいの」
「何? それって」
こまちは誰かを気にしているかのようにかれんの耳元に口を近づけると小さな声で
囁きかける。
「寮生の中の誰かに、カメラマンと協力している人がいるかもしれないわ」
かれんは大きく目を見開いた。
「何考えてるのよ、こまち。そんなことあるわけ……!」
「ええ、私だってそう思っているわ」
「じゃあ、どうして」
かれんがこまちに詰め寄る。
「万が一の可能性を考えておきたいの。カメラマンに協力した誰かのおかげで、
 今日都合よく写真が撮れたのかもしれないんだから」
「でも、だってそんな筈」
「私だって、こんなことを考えたくなんかないけれど。事が重大だから
 すべての可能性を潰しておきたいのよ」
こまちは、ふざけてこんなことを言っているのではなかった。彼女の表情を見て
かれんにはそれがよく分かった。
「別に、かれんにみんなのことを取り調べてって言っているわけじゃないわ。
 ほんの少し、ほんの少しだけ気を付けていた方がいいと思うの。何か怪しいことが
 あったら、それとなく話を聞いてみるだけでいいと思うわ」
「ねえこまち……」
「何?」
かれんの口調は打ちひしがれている人のそれだった。

「そんな風に考えているのだったら、何故みんなにあの話をしたの? うららや私たちが
 気づいていないと思わせて泳がせていた方が良かったんじゃない」
「私はみんなのことを信じているもの」
「えっ?」
「カメラマンに協力した誰かが仮にいたとしても、多分軽い気持ちよ。
 写真ぐらい撮られた方がうららさんに箔がついていいと丸め込まれたとか、
 そんなところね。今日の話でその重大さは伝わったと思うの。もしかしたら本人が、
 うららさんやかれんに名乗り出てくるかもしれない。そうでなくても、
 カメラマンへの協力は今後しないと思うわ。……でも、本人はずっと思い悩むことに
 なるのかもしれないし、そうなったら少し話を聞いた方がいいと思うの。
 ね、かれんお願い」
「……ええ、分かったわ……」
鉛の塊を飲み込んだかのように、かれんは気が重くなった。こまちの言っていることは理解
できたが、やはりみんなを疑っていることには変わりがないようにかれんには思えた。

 * * *


翌日から、こまちは基本的にうららと行動を共にするようになった。朝食をとると、
うららと一緒に寮を出る。授業のある教室までうららを送り届けてから自分の授業に向かう。
うららの授業が終わるころには教室の前で彼女が出てくるのを待つ。
うららが仕事に出る時には同行し――まるで用心棒か何かのように、こまちはうららにぴったりと
張り付いていた。

そんな日々が数日続いたある日のこと。怪しい人の姿はうららの周りにはまだ現れていなかった。
こまちはこの日もうららの仕事場に同行していた。事務所経由で話を通して、
うららの付き添いと言うことにしてドラマ撮影の現場にまで入れてもらっている。
スタッフの邪魔にならないように隅の方で小さくなってこまちはうららの仕事を見守っていた。

――うららさん、本当に雰囲気が変わるのね。
中学の頃から何度かうららの仕事場を見学させてもらったことはある。その時のいずれとも違い、
今回はうららが自分の良く知るうららではなく誰か別の人になってしまったように思えた。
――最近演技を評価されているのは知っていたけれど……、
いまさらのように、こまちは最近読んだドラマの評論を思い出す。
口の悪いことで知られる評論家が、
「春日野うららの演技はようやく見られるものになってきた。ずいぶん待たされたという印象である」
と書いていた。それはつまりこういうことかと、うららの演技を見ながらこまちは思う。
今、目の前にいるうららはうららではない。彼女が演じている誰かである。こまちはわずかに
寒気を覚えた。

仕事が終わるとタクシーで帰宅する。今日は遅くなったので事務所には寄らずに寮に直帰だ。
初めはうららとこまち、それにうららのマネージャーの三人で乗っていたが
彼を自宅の近くで降ろしてからはうららとこまちの二人になった。
こまちがタクシーの窓の外を流れるネオンサインに気を取られていると、左から
うららが寄りかかってきた。そちらに目をやると、うららは熟睡している。
その寝顔を見て、こまちはようやく安心した。自分の知っているうららが戻ってきたような
気がした。

タクシーは大学に入る手前で停めてもらった。
少し前で目を覚ましたうららがそこまででいいと言ったからだ。寮の前までつけてもらおうと
こまちは言ったのだが、うららは頑として聞き入れなかった。
「寮の前までつけてもらえば良かったのに。大学構内まで車は入れるんだから」
タクシーを降りたこまちがそうぼやくと、すみませんとうららは舌でも出しそうな顔で
謝った。
「大学の中、歩くの好きなんです」
「どうして?」
こまちは夜風に首をすくめる。風は冷たい。
「ずっと来たかったんですよ、この大学」
「……そうなの?」
こまちは少し不思議に思った。うららの生活は仕事中心だ。
大学自体の魅力というよりは仕事のしやすい環境ということでこの大学を
選んだのだろうとこまちは思っていたのだが。
「ええ。のぞみさんやこまちさん達がいますから。ほら、みんな私より
 先に卒業しちゃうんですから」
「えっ?」
「高校で、こまちさんやかれんさんがまず卒業して、のぞみさんとりんさんが
 翌年には卒業して――みんな私より先に行っちゃうんですよね。だから、早く
 みなさんのいるこの大学に来たかったんです」
「そう、だったの?」
初耳だった。
「そうなんですよ。だから、こうやって大学構内を歩いていると本当に嬉しいんです。
 みなさんに追いつけたような気がして」
――うららさんの方が、ずっと先に行っているじゃない。
うららの話を聞きながらこまちはそう思っていた。うららの言う、「先を行っている」は
単に年齢のことだ。しかし今日見たうららの姿は、夢をかなえようとする者として
こまちよりもずっと先に行っているように思えた。

「うららさん、これ」
こまちはコートを脱ぐとうららの肩にかける。
「えっ、こまちさん?」
「ほら、今夜は寒いから――」
「でもそんな」
うららが遠慮しようとするのをこまちは止めた。少しだけ、年上ぶりたかった。

 * * *

こまちは、いいのである。

こまちに特別な役目――寮のみんなの様子に注意するという役目――を頼まれたかれんは、
数日間ですっかり疲弊していた。「何か怪しいことがあったら」なんてこまちは
簡単に言ってくれたものだが、一度そういう意識を持ってみると何もかもが怪しく思えるものである。

満が普段はあまり買わないジャムパンを買っているのでさえ、せつなが気だるそうな顔で
食堂でだらだらしているのでさえかれんには怪しく思え、そのたびに「何かあったの!?」と
声をかけては、
「何もないですけど……?」
と困惑のまなざしを向けられるばかりだった。

「最近さあ」
夜。自室に戻ってきたなぎさがベッドルームにいるほのかに声をかける。
「かれんの様子も変じゃない? 今日なんてクッキー食べてただけでいろいろ言われたよ」
「? 何て?」
「いつもはチョコクッキーなのにプレーンを食べてるのはおかしいって。
 私だってたまには、ねえ」
ほのかは少し苦笑したが、すぐに真面目な顔に戻り、
「うららさんの一件以来、かれんさんがかなり過敏になっている気はするわね」
「敏感になるのは分かるけどさあ……あそこまでピリピリしなくても」
「梅に鶯、竹に雀」
「え? 何それ?」
ほのかが突然訳の分からないことを言い出したと思ってなぎさは聞き返した。

「ぴったりと合う組み合わせってことよ。梅には鶯が、竹には雀が似合うってこと。
 かれんさんとこまちさんもそうだと思っていたのだけれど……違ったのかしら」
「あの、ほのか何言ってんの?」
言葉の意味は分かったが、ほのかが何を言いたいのかはさらに分からなくなった。

「かれんさんがピリピリしている原因よ。最近こまちさん、ずっとうららさんにかかりきりだものね。
 かれんさんに構ってあげられてないんじゃないかしら」
「……それが、原因?」
「違う? 私はそう思うんだけど。そろそろ、うららさんについて歩く役目を
 誰かに交替した方がいいんじゃないかしら」
ほのかは「食堂に行かない?」となぎさを誘った。まだうららとこまちは
帰ってきていないようだったが、かれんとは顔を会わせることができるかもしれない。
「でもさあ、それはないよ」
一階へと降りる階段の上でなぎさは呟く。
「うららとこまちが日中一緒にいると言っても、夜はそれぞれ自分の部屋に帰るんだし。
 かれんはやっぱり、うららの件が気になってピリピリしてるんじゃないかなあ」
「そう? まあいずれにしても、ちょっとかれんさんの相談には乗ったほうがいいかも……」

二人が階段を降り切ったところで、ガチャンと扉を開けてこまちとうららが帰ってきた。
うららはこまちのコートを肩から羽織っている。
「……怪しい」
なぎさが思わずつぶやくと、
「でしょう?」
とほのかが囁き返してきた。
こまちとうららは食堂で一休みでもするつもりらしくそちらに向かっているので、
なぎさとほのかも「お帰りなさい」と言ってその後ろからついていく。
食堂ではのぞみが咲と一緒に――りんには断られたので――、ホラー映画のテレビ上映を
見ていたが、ちょうど終わったところだった。
劇中の恐ろしげな場面を集めたエンドロールがまだ流れているが、かれんは二人に
「そろそろ寝なさいよ」と声をかけている。
「はーい……あっ、うらら!」
のぞみはうららが帰って来たのに気が付いて手を振った。
「あー、うららこまちさんのコート着てる……」
こまちのコートは、うららには少し長い。
大きいコートを羽織っているうららが無性に可愛く思えて、
のぞみは携帯を取り出すと正面からうららの写真を撮った。カシャッとシャッターの
音がする。その音を聞いてうららは固まった。

「のぞみさん、その携帯のシャッターの音……この前写真を撮られた時の音に
 良く似ているような……」
「えっ!?」
のぞみは驚きの声を上げた。こまちはすぐに動くと携帯ごとのぞみの手をつかむ。
「のぞみさん、あの日、あの会議をした日、この携帯でうららさんの
 写真を撮ったの?」
「撮りましたよ」
「玄関で?」
「ええ」
これです、と見せた写真には誰かと話しているらしいうららが一人だけで写っている。
のぞみ達の背後で、へなへなとかれんがしゃがみこんだ。
「うららさん、あの時聞こえたシャッターの音は一回だけだったのよね?」
こまちが確認すると、うららは「はい」とはっきり答える。
「あ――……つまり、犯人はあなたね、のぞみさん!」
「えっ!? ええっ!? どういうことですか!?」
全く分かっていないのぞみにこまちがびしっと人差し指を突き付けたが、のぞみは
まだ分かっていなかった。

「うららさんはのぞみさんが写真を撮る音を聞いて、芸能誌のカメラマンに撮られたと
 勘違いしたのよっ!」
「えーっ!? だって私、シロップと一緒の写真なんて撮ってないしスキャンダルを
 でっちあげようなんてしてませんよ!?」
「そこは私たちが推測しただけなのよ……事実としては、うららさんがシャッター音を
 聞いたっていう、それだけなの」
「えっ」
「のぞみ〜……」
のぞみの背後でかれんがゆらりと立ち上がった。
「あの時一言、『写真撮った』って言えばすむ話だったんじゃない!
 私が今までどんな思いをしたと思っているの!」
「だって、芸能誌のカメラマンが撮ったってかれんさん達が言ってたから
 私のこと勘違いしてたなんて思わないし……お休みなさいっ!」
八つ当たりされてはかなわないとのぞみが逃げ出すと、
「待ちなさいのぞみ!」
とかれんが追いかける。
「待ってください、のぞみさん悪気があったわけじゃないんですから!」
「かれんさん落ち着いて!」
うららと咲がかれんを止めに入り、こまちはそれを見ながらまあまあと微笑んでいる。
「これで一件落着ね」
一部始終を見ていたほのかはなぎさにそう呟いた。
「いや、全然落ち着いていないと思うけど」
「まあ、とりあえずうららさんのことはこれで済んだんだし。
 明日以降もかれんさんがピリピリしていたら相談に乗ればいいし。行きましょ、なぎさ」
なぎさはほのかに促され、騒ぎの続く食堂を後にした。
翌日には、事態はすっかり写真事件の起きる前に戻っていたという話である。


-完-

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