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東堂大学女子寮は大学構内でも奥まったところにある。寮の敷地内は寮生およびその
関係者しか入れないことになっている。だが実際には、寮に近づく人はそれほどはいなかった。
寮生たちの生活空間となっているその場所に用もなく近づくのは憚られるからかもしれなかった。
まして、ここを訪れる男性となると入寮時に付き添いでやってくる家族くらいの
ものだったが、例外的にひと月に何度もこの寮を訪れる男も一人いた。
シロップは外国からやってきてこの近くの宅配業者で働いている。寮生たちは実家から
色々な生活用品を送ってもらうことが多い。大学を含むこの辺り一体の地域を担当する
彼は、そのたびに鳥のマークのついた制服を来て荷物を寮へと届けにやって来るのである。

この日も、彼は小ぶりの荷物を持って寮の前に立つと呼び鈴を押していた。一拍置いて、
寮長のかれんの声が聞こえてくる。送り状に書いてある宛名を読み上げ、荷物を持ってきた
ことを告げると、しばらくしてからかれんではなく宛名の本人が――春日野うららが姿を見せた。

「お届けものです」
事務的にそう言うと、うららの顔がぱっと明るくなった。
「ありがとう、シロップ!」
シロップはここの寮生のくるみと同郷であり昔馴染みであることが既に知られているので、
寮生たちの対応もただの宅配のアルバイトに対するものというよりは友達に対するような
それになっている。シロップ自身は仕事中はそれに相応しい態度を取りたいと思っているのだが、
実際にこういう態度を取られるとついついそれに引きずられてしまった。
「ここにはんこ……」
「うん、これね」
シロップが示した場所にぺたんとうららがはんこを押す。荷物を渡して、やれやれ
終わったと思った時にうららが
「ねえ、この前の番組見た?」
と声をかけてきた。
「この前の――ああ、一応」
この前荷物を届けた時、今夜こんな番組に出るから時間があったら見ておいてと
シロップはうららに言われていたのである。
「本当? 見てくれたんだありがとう!」
うららは、敢えて感想は聞かなかった。映画の出演者が十人ほどインタビューに応じた
宣伝番組で、四番手くらいの脇役だったうららはそれ相応の時間しかインタビュー映像が
流れることはなく、感想を求められても困るだろうと配慮したからだった。
「本当に、ああいう仕事してるんだな」
芸能情報に疎いシロップはそんなことを言う、ふふ、とうららは笑う。――その時近くで、
シャッターを切る音がした。シロップはそれには気づかず、「じゃあ」とうららに背を向ける。
シロップを見送ってからうららの表情は険しくなった。視線を前後左右に動かして
カメラマンの姿を探すが、どこにも見当たらなかった。
撮られたかもしれない。そう思って、うららは寮の中に入ると不安げにこぶしを握りしめた。
芸能界に疎いシロップはよく分かっていないが、うららはこう見えて最近注目度が
急上昇中の若手女優なのである。
ずっと小さなころからこうした仕事を続けているのだが、演技力が本当に評価され始めたのは最近のことだ。
それだけに、今の時期のスキャンダルには気を付けるようにと最近は事務所やマネージャーからも
繰り返し言われていたのだが――、
――どうしよう。
言いようのない不安がうららの胸をしめつけた。事務所に迷惑をかけてしまうかもしれない、
それに何より、シロップに迷惑をかけてしまうかもしれないと、ぐるぐるとうららの頭は
回っていた。シロップとうららは恋愛関係にあるわけではない。自分とほんの少し話しただけで
騒ぎに巻き込まれたらシロップはさぞ困惑するだろうとうららは思った。

がちゃんとドアを開ける音と共に、こまちが寮に帰ってきた。
「あら、うららさん」
こまちは中に立っているうららにそう声をかけて靴を脱ぎ――返事をしないうららを
少し不審に思った。
「うららさん?」
もう一度声をかけると、やっとうららが気づいたように顔を上げる。
「うららさん……?」
「こまちさん……」
こまちはうららの表情からすぐに、何かよからぬことが起きていることを悟った。
こまちはうららを安心させようと意識して柔和な笑みを浮かべると、
「どうしたの?」
とうららのすぐそばに寄り添って囁きかける。
「ちょっと、まずいことになったかもしれなくて……」
うららが小さく答えると、「そう」とこまちは静かな笑みを壊さないように
気をつけながら答えた。
「私たちの部屋に来ない? 話を聞くわ」
こまちがうららの肩に手をまわしながらそう囁くと、うららはこくんと頷いた。

こまち、かれんとうららの付き合いは長い。中学の頃からの付き合いだからもう六、七年になる。
一つ年下ののぞみやりんよりもさらに一つ下のうららは、こまちやかれんからすると
どこか幼い妹のように思えていた。
二階に上がり、こまちとかれんの部屋に向かう。先ほどシロップの呼び鈴に応えた
かれんは一階のうららの部屋に声をかけた後、また自室に戻って雑誌を読んでいた。

――まったく、くだらないわね。
雑誌はこまちが買ってきて、取り立ててかれんに見せるつもりもなく放っていた
週刊誌である。大物俳優と女優二人が絡むスキャンダルのスクープ記事が
この号のメインであるらしく、誌面の大部分がそれに割かれていた。
下品な記事だとかれんは思ったが、週刊誌が描き出そうとしているどろどろの
人間関係が持つ猥雑なパワーのようなものに妙にとらえられて途中で読むのを止めることが
できないでいた。
「ただいま。あら、かれん?」
こまちが戸を開けたので、かれんは慌てて週刊誌を隠す。
「お帰りなさい、こまち。あら、うららも?」
こまちの影に隠れるようにして立っているうららを見て、かれんはすぐに
うららが何か困りごとに直面しているのを感じ取った。
こまちとアイコンタクトを交わして、普段は二つしか置いていない椅子の他にもう一つを
出してうららをそこへ座らせる。

「紅茶でいいわよね」
うららが頷くのを見てかれんはポットに三人分の茶葉を入れてお湯を注いだ。
こまちは一旦自分のコートを片づけてからまた戻ってくる。
「……それで、うららさん。何があったのかしら?」
湯気を立てているティーカップを前に三人が落ち着いたところでこまちが切り出した。
うららはひとつ頷くと思い切って口を開く。
「私、撮られたかも知れないんです」
「取られた? 何を?」
泥棒でも入ったのかとかれんは神経をとがらせる。
「さっき、荷物を運んできてくれたシロップと話していた時に後ろからシャッターの
 音がして」
「それで、何を取られたの」
「え? ですから、写真を」
「写真? ――ああ、写真を撮られたのね」
とかれんもやっとうららの言っていることを了解した。こまちはかれんよりも早く
うららの言わんとしていることとその深刻さを理解していたようで怖いくらいに
真剣な表情だ。
「もちろん、その写真はうららさん達の了承を得たものではないんでしょう?」
「ええ。撮った人の姿も見えませんでしたし。シャッターの音が聞こえただけで」
「確認させてもらえるかしら。撮影された時、うららさんはどこにいたの? 
 寮の玄関の外? それとも、中?」
「外です。玄関を一歩出たくらいのところで」
玄関の傍には小さな植込みがいくつもある。隠れようと思えば隠れることはできるだろう。
「ちなみにその時、ドアは開いてた?」
「ええ」
「ということは、事前に領内に忍び込んでおいて中から撮影した可能性もあるのかしら」
「それは考えにくいんじゃない?」
かれんが口を挟む。
「うららがあの時玄関先に立つことは、誰にも分からなかった訳だし。ずっと中に
 隠れているというのはあまりにも危険だわ」
「そうね……」
そうね、と答えながらこまちは別の可能性にも気づいていた。
だがそれは口には出さないでおく。
「でも、うらら。それってスキャンダルを恐れているということ? でも、そんなに
 心配する必要はないんじゃないかしら。だって、シロップとそういう関係に
 あるわけじゃないんでしょう。だったら、大騒ぎにはならないんじゃないかしら」
かれんが諭すようにそう言うと、
「写真って怖いんですよ、かれんさん」
うららは緊張した面持ちのままでそう答えた。
「誰か二人が一緒にいるだけの写真でも、構図を工夫して思わせぶりなキャプションを
 つけるだけで熱愛中としか思えない写真になっちゃうんです」
「そう……なの?」
かれんが目を丸くして尋ねると、「そうです」とうららははっきりと答えた。
さっき週刊誌に載っていた人たちもひょっとしてそうだったのかしらと
かれんは思った。真実を確かめる術はないのだが。
「うららさん、それで写真を撮られたとして――」
こまちが話を戻す。
「事務所には当然、相談しておくわよね。後、一つ確認しておきたいんだけれど。
 シロップさんとは本当に、恋愛関係ではないの?」
「まさか」
うららは即答した。
「あのね、うららさん」
こまちが身を乗り出す。
「隠さなくてもいいのよ。私たちはうららさんの事務所でも何でもないんだから。
 お仕事の関係で今は恋愛禁止なのかもしれないけれど、私たちがうまくガードすれば
 シロップさんとのお付き合いをこっそり続けることだってできると思うの」
「本当にそんなんじゃないんですっ!」
うららがやや声を荒げた。
「本当にそんなんじゃないんです、シロップとは。ただ……」
「ただ?」
「シロップに悪いなと思って。外国から来て、芸能界にもあんまり興味がないみたい
 なのにこんなことで騒ぎに巻き込まれたら……」
「そうね」
かれんが呟く。くるみという知人はいるものの、シロップは単身こちらに渡って来たと
聞いている。報道合戦に巻き込まれるようなことがあったらさぞ心細いだろう。
「うららさんの気持ちは分かったわ」
こまちは今後どうするかということを既に考え始めていた。
「まず、写真を撮った人への対応だけれど。これはうららさんの事務所にお任せ
 しましょう。プロだもの。早晩、カメラマンや雑誌の方から問い合わせがあるかもしれないし」
「ええ、事務所に相談します」
「それで、私たちのすることだけれど、まず私がうららさんとしばらく一緒に行動するわ」
「えっ」
うららが驚いて声を上げた。
「その人が、写真一枚で満足するとは思えないもの。もっと決定的な証拠をつかもうと
 するはずよ。人通りの少ない夜の街を、二人で肩をならべて歩いている写真とか」
かれんは先ほどの週刊誌に載っていた写真を思い出した。確かに、そんな構図の写真が
あった。こまちもその写真のことを思い出しながら喋っているに違いなかった。
「さっきうららさんが言っていたみたいに、写真のテクニックをうまく使ってそういう
 写真に仕立てるのかもしれないし。私がいつもそばにいれば、そうした危険を減らせると
 思うの」
「でもそれじゃあ、あまりに」
迷惑では、と言ううららにこまちはいいえと首を振る。
「全然迷惑なんかじゃないわ。授業中は無理だけど、それ以外なら。マネージャーさんに
 一緒にいてもらうっていう手もあるけれど、うららさんはあまりそういうことをして
 目立ちたくはないんでしょう?」
「……本当に、大丈夫なんですか」
「ええ、もちろん。それで、かれん」
こまちはかれんの方へと目をやった。
「寮のみんなを集めて、寮の周りに不審な人がいないかどうか注意してもらうようにしましょう。
 せめて寮では、うららさんが安心して過ごせるように」
「そうね。そうした方がいいわね」
かれんは頷くと、うららに
「その時、うららのことをみんなに話してもいい? 単に最近物騒だからという風に
 説明することもできるけれど……」
と尋ねる。
「話してください」
うららはきっぱりと答えた。
「いいのね?」
「ええ。もしかすると、寮の誰かが写真に撮られてしまうかもしれませんから」
「まあ、そうね……そうならないようにしたいけれど」
そう答えながら、かれんは二人に立つように促して部屋を出る。
「とりあえず、今いるメンバーだけでも食堂に集めましょう。
 私は二階の部屋を回るから、二人は一階をお願い」
かれんの言葉で、三人は二手に分かれた。

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