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 第二話 魔物

雪城邸の朝は味噌汁の匂いと共に始まる。今日はあさりのお味噌汁だ。味噌の匂いが
台所にたちこめ、ネギを刻むとんとんという音が響く。
「おはようございます、ほのかさん」
部屋着に着替えたりんがひょっこりと顔を覗かせる。
「おはよう。――のぞみさんは?」
「あ……はは」
りんは頭に手を当てて苦笑し、「起こしてきます」と答える。
「待って。味見お願いしてもいい?」
「ええ――」
ほのかからお玉を受け取ると味噌汁を小皿に取り一口飲む。
「どうかしら?」
「うーん……」
りんは少し考えてから、
「もう少し濃くてもいいかもしれませんね」と答えた。

「そう、ありがとう」
「じゃあ、のぞみ声かけてきますね」
りんは苦笑を残して台所から出た。

木の床をはだしで歩くと冷たさが伝わってきて気持ちいい。ぺたりぺたりと足が
床に吸い付くような感触を楽しみながら、りんはある部屋の前まで来て立ち止まり、
こほんと一つ咳払いをすると威勢良く襖を開ける。
「のぞみ〜っ! 起きなさ〜いっ!」
りんの予想通り、部屋の中には丸くなった布団が転がっていた。
のぞみはその下にいるに決まっている。
「のぞみっ! もう! 朝だってば!」
ばさっと布団を引き剥がす。
「む〜……」
口の中でもごもご何か言っていたかと思うとのぞみはパタンとうつ伏せになり
また寝ようとした。
「寝てたらほのかさんの朝ごはん、食べられないよ!」
掛け布団を投げ出し、のぞみ本人の肩を掴んで無理やり引き起こす。
「うー……おはよ、りんちゃん」
やっとのぞみが目を開いた。
「おはよ。ほら、早く顔洗って」
「はあい……」
目をこすりこすり立ち上がる。りんは投げ出したのぞみの布団を簡単に畳みながら苦笑した。
毎朝同じことをしている。

――そろそろりんさん、終ったかしら。
ほのかはちらりと時計を見た。りんが台所を出てから七分。いつもこのくらいの時間で
のぞみが起きると決まっている。
「りんさん、配膳手伝ってくれるかしら?」
「はーい」
タイミングはぴったりだったようだ。りんがすぐにのぞみの部屋から出てくる音がした。

まだ目をしょぼしょぼさせているのぞみも食卓につかせ、朝食が始まる。
今日の献立はご飯に味噌汁、それに魚の煮付けだ。
「そういえばほのかさん」
味噌汁を軽く飲み込んでりんが尋ねる。
「あの石って結局何だか分かったんですか?」
「ああ、これ……」
ほのかは食卓の片隅に置いてあった布を取り上げる。中から真紅の宝石のような石が
転がり出た。ほのかが数日前に蔵の中で見つけたものだ。
布で丁寧に磨かれたそれは、蔵の中に眠っていた時よりも一際強い輝きを放っている。
「結局、何の石か分からないの。いろいろ調べてみたんだけれど……」
「色合いからすると、ルビーみたいですけど」
「でもルビーとはスペクトルが全然違うのよ。ルビーはクロム由来の赤色部の
 吸収ラインの他にも青色部の吸収ラインを含んでいて……」
ほのかの話を聞きながらりんは舟をこぎ始めていたのぞみの頭を軽くはたく。
ほのかは笑って、
「のぞみさんには退屈だったかしらね」
とスペクトルの話をやめた。ほのかは蔵の中でその石を見つけてからというもの、
あれこれと宝石の性質について調べては検査を行って何の石かつきとめようとしていた。
が、今のところはっきりとした結果は得られていない。
「見せてもらえますか?」
りんは手を伸ばし、ほのかから赤い石を受け取る。
「本当に綺麗ですよね……」
見れば見るほど吸い込まれてしまいそうな色だ。
八面体に正確にカットされ輝きを増している。

――アクセサリーにしたらきっと人気商品になるだろうな……ネックレスとか……
ごく自然にそう思った後、りんはふと違和感を覚えた。
――なんでこんなこと考えたんだろう。アクセサリー売ったことなんてないはずなのに……?
不思議に思いながらもほのかに石を返す。
「ほのかさん、それどうするんですか?」
「どうって?」
ほのかはきょとんとした表情を浮かべる。
「ネックレスにするとか……」
「あ〜っ! ほのかさんがそれネックレスにしたらすごく似合いそう!」
のぞみが突然大声を出したのでりんは驚いて持ちかけた箸を取り落としそうになりながら、
「きっと似合うよね」
とのぞみに同意する。
「……そういうこと、全然考えてなかったわ。これが何か決めるのに夢中で……」
そんなほのかを見ながらりんとのぞみは思わず声を上げて笑ってしまった。

「今日はここからね」
そんな雪城邸の前に舞とこまち、かれんが立つ。
「行きますね」
舞が三人を代表して呼び鈴を押す。昨日からずっと同じだ。舞がまず尋ね、かれんとこまちが必要に応じてフォローする形式をとっている。
「え? お客さん?」
呼び鈴の音に家の中にいた三人は一瞬固まった。この家の呼び鈴が鳴るのは初めてのことではないだろうか。三人がこの家に住むようになってから――それはつまり、
ずっと昔からということだが――、誰かが来た記憶はない。
「はいはい、今出ます!」
りんがあわてて立ち上がった。初めてのことなので一瞬身体が動かなかったが、すぐに
出迎えに行こうとする。
「りんちゃん待ってー!」
つられたようにのぞみが立ち上がる。家の外の三人は日本家屋に似つかわしくない
どたどたという足音に、どんな人が出てくるのかと妙な緊張感を抱いていた。
「えーと? どちら様ですか?」
三人が最初に見たのはりんの姿だ。見慣れぬ訪問客にやや怪訝そうな表情を浮かべている。

「すみません。こちらに日向咲さんという方は……」
「りんちゃ〜ん、……わあっ!?」
その場にいた四人が同時にあっと声を上げた。のぞみの足が床でつるんと滑りバランスを
崩した彼女はものの見事にひっくり返る。
「ちょっとのぞみ!」
「大丈夫ですか!?」
りん、それに舞が思わず駆け寄った。
「……えへへ、ごめんねりんちゃん」
「もう、あんたは。気をつけなさい」
「ありがと」
りんが伸ばした手に掴まってのぞみがよいしょと起き上がる。
「それで、え〜と、お客さん?」
のぞみが舞の顔を覗き込む。かれんは玄関先で腕組みをしながら考え込んでいた。
「え、ええ。あ、すみません勝手に上がっちゃって」
舞が答える横からかれんの声がする。
「あなた達、夏木りんさんと夢原のぞみさん?」
「え? ……ええ、そうですけど」
まだ玄関に立っているかれんの問いにりんは若干無愛想に答えた。
「さっきから聞いてますけど、そちらは?」
「あ、すみません。私は美翔舞、あちらが水無月かれんさんと秋元こまちさんです。――
ごめんなさい、御挨拶が遅れて」
「いや、いいんだけど……どうして私たちの名前を?」
頭を下げる舞からりんは目を逸らし、かれんを見据える。
「りんさんのぞみさん、お客様は?」
あまり時間がかかっているのでとうとう奥からほのかも出てきた。

「あなたが、春日野うららさん!?」
「違います!」
かれんの言葉をりんは真っ向から否定した。
「さっきから何なんですか、人の名前当てたり間違えたり! 何しに来たんですか!?」
「す、すみません」
「あなたに言ってるんじゃない!」
謝る舞をりんは半ば怒鳴りつける。だがその視線は舞ではなくかれんだけを見ている。
かれんとりん、二人の間に飛び交う火花が舞には見えるような気がした。
思わず逃げ出したくなる。
「かれん、まあまあ」
「りんさん、上がっていただいたら?」
こまちとほのかの声が同時にこの場を収めた。

一応客間ということになっている部屋に舞たち三人は通された。
畳の上に三人が並んで座り、大き目の座卓を挟んで向こう側にりん、ほのか、のぞみの
三人がやはり並んで座っている。
それぞれの中央に座るかれんとりんはやはり睨み合うような雰囲気を崩していない。
「……で、何でここに来て、どうして私たちのこと知ってるんですか」
りんが口火を切った。
「あの、私から説明しますね」
おずおずと舞が薫のことを話し始める。作り話をする余裕は舞にはなかった。
本当のことを全部話す。
「……それで、私たち、日向咲さん、夢原のぞみさん、夏木りんさん、春日野うららさん
 を探していたんです」
――今の話、信じろって……?
舞が話を終えるとりんは正直、何と言ったものか困った。
舞が嘘をついているようには見えない。
かといって今の話が簡単に信じられるものかというと……、

「ねえ、今の話だと、舞ちゃんがその日向咲さんに会ったら薫さんって人は洞窟みたいな
 ところから出られるかも知れないってことだよね」
――のぞみ、あんた今の話素直に信じた!?
喋り始めた隣の友人をりんは信じられないという目で見ていた。
「ええ、……たぶん」
「だったら、私も手伝うよ! 日向咲さん探すの!」
「ええっ!?」
舞とりんが同時に声を上げた。ほのかもかれんもこまちも意外そうだ。
「だって、大勢で探した方が早く見つかるじゃない!」
「でも、本当に……」
いいのかしら、と言いたそうな舞にのぞみは「うん!」と答えた。
「絶対に見つかるよ。同じ空の下にいるんだから。……りんちゃんも一緒に探すの
 手伝おうよ。ほのかさんも」
「え……う、うん」
りんがのぞみに見つめられて思わず頷くと、ぱっとのぞみの顔が明るくなる。ほのかも「そうね、みんなで探した方が効率はいいわね」と同意した。
「ありがとうございます!」
お礼と共に舞が顔をほころばせる。この子の笑顔を見るのは初めてだとりんは思い、その
顔を見て安心した。と同時に、ちらりと隣ののぞみを見る。
この友人は誰かを笑顔にするのが得意だ。笑顔を見せないと言えばもう一人。
水無月かれんは相変わらず固い表情をしていたが、りんは彼女を笑わせたいとは
あまり思わなかった。
「お茶、淹れてきますね」
りんはすっと立ち上がった。


その頃、薫は洞窟の中で背筋に走る悪寒と闘っていた。どうにも嫌な気配がする。
決して出してはいけないものが――
「……っ!」
声にならない声が漏れた。薫の足元をすり抜けるようにして滅びの気配を纏ったものが
通る。それは一直線に洞窟の入り口を目指した。
「ご苦労なことだな」
背後から低い声がした。
「……カレハーン」
くっくっくっと押し殺した笑い声がした。間違いなくカレハーンのものだ。
「随分緩んで来ているようだな。お前がそこに居る意味も、もうあるまい」
「……」
「都合の悪いことは無視か? 昔からの悪い癖だな」
薫を嘲笑う声がした。次の瞬間薫は思わず目を見開いた。背中に激痛が走る。
「やめろ……やめろっ!」
巨大な滅びの力の気配が薫の脇を掠めたかと思うとカレハーンは薫の前に立っていた。
「……いい姿でいるものだな、薫。そこに拘束されたまま、自分の決断を後悔するが
 いい!」
カレハーンの声が終ると共に風が吹き抜けた。洞窟からすぐに抜け出したのだろう。
行く先はおそらく……、
――舞のところ? かれんさんやこまちさんも……
薫は一瞬ここから出ようとした。だが、それはできないと思い直す。
ぐっと歯を食いしばり、薫は目を閉じた。


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