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プロローグ

光のない夜があった。
月が姿を消し、風は止まり、花も鳥もどこにも居なくなってしまった。薔薇に
止まっていた蝶は羽ばたきを止め、四つ葉のクローバーは枯れ果てた。――
「……」
ベッドの中で舞がうつろに目を開く。軽く頭を振り、今見たばかりの夢を頭から
追い出そうとした。度々見る夢だ。希望がなくなったイメージがねっとりと絡みついて
くるような。
窓の外は明るくなり始めている。舞はベッドから滑るように降りた。

    * *

わふっ、わふっと犬が地面を引っかく。
「どうしたの?」
連れていた祈里は怪訝な表情で足を止めた。犬はまだ地面を掘っている。
「どうしたの? ここに何かあるの?」
祈里はしゃがみ、犬が掘った穴を覗いてみる。
「……これ?」
穴の中に青く光る物がある。祈里が手を触れると、一瞬明るく輝いた。
「何……?」
地面の下から地響きが聞こえる。祈里は怖くなって「早く行かないと」と犬を
急きたててその場を離れた。手には青い石を持ったままで。

    * *

ほのかは蔵の掃除をしていた。薄暗い蔵の中には色々なものが眠っている。
家に古くから伝わるものもあれば、最近入手してそのまま突っ込んでしまっているものも
あるはずだ。古くからあるものには今日は手をつける予定がないので、最近のものの
整理が中心になる。
基本的に古い物から順に積み重なっているはずだから――地層のような表現になるが――、
表層のみを整理すれば良いはずだ。
――これ、何だったかしら。
見覚えのない箱を一つ見つけた。丁度文箱くらいの大きさだが、とくに飾りもなくどこか
素っ気無さを感じさせる。蓋を取ろうとしたが中々開かない。ほのかは蔵の中の棚の上に
箱を置くと、少し力を込めて箱を開ける。一瞬走った閃光にほのかは目を閉じた。

再び目を開くと箱の中に赤い石が鎮座している。見覚えはない。ほのかは首をひねり、赤い石を手に取った。
蔵の中までは音が伝わらなかったが、遠くの山が少し揺らいでいた。

物語の始まりを引き寄せていることに、この時の少女達はまだ気がついていなかったのである。


第一話 発端

「舞、何かあったの?」
いつもの朝食。かれんが少し心配そうに舞の表情を見る。
「べ、別に何もないです。ちょっといやな夢を見ただけで」
「いつもの夢?」
こまちの言葉に舞は無言で頷く。
「起きた後まで夢がついてくるみたいで……」
かれんは自分の空いたグラスにグレープジュースを注ぐ。三人が食事をしている部屋は
広く、白いテーブルかけをかけたテーブルだけが真ん中にぽつんと置いてあってどこか
寂しささえ感じさせる。朝日が窓から差し込んでいるがその光もどこか弱く、
白のカーテンで遮られてしまっているように思われた。

「不思議なお話ね」
こまちの言葉はどこかわくわくしているようにかれんには聞こえた。
舞の表情はやはり浮かない。バターを薄く塗ったパンを食べ終えると、「ごちそうさま」
とだけ言い、食器を台所に持っていく。舞はかれんやこまちと比べるとだいぶ小食なので
いつも食事を終えるのが早い。

今日は川のほうに行ってみよう、と舞は思っていた。スケッチをするのが舞の日課だ。
ここ最近はこれまで行ったことのない場所にも足を伸ばしている。スケッチブックには
風景画も人物画も描いてあるが、人物画のモデルになっている人は二人――
一緒に過ごしているかれんとこまちのみである。

かれんもこまちも、舞に頼まれれば快くモデルになった。そのことには感謝している。
ただ、何か……何か足りないものがあるように舞は感じていた。それが何であるかは
良く分からない。かれんとこまちに言ってもそれは分からないだろうと舞は何となく思っていた。

舞が出かけてからしばらくしてかれんとこまちも朝食を終え、こまちは自室に引き上げて
小説を書き始めた。こまちの部屋の扉が閉じたのを見てかれんも自室に戻る。
バイオリンのケースを開け取り出して構えると、弾くのはノクターンだ。
どこか物悲しいバイオリンの音色が邸内に流れる。こまちは書き上げたばかりの原稿用紙を一枚丸め、
また新たに書き直し始めた。
この生活は基本的に変わらない。舞はスケッチ、こまちは小説、かれんはバイオリン。
静かな時間だけがゆったりと流れて行く。他には誰もいない、山の麓に建つこの邸宅で。
三人ともこの生活に不満のあろう筈がなかった。

――ふう……。

この邸宅から出て少し行くと、下り坂になる。このまま下に降りて行くと川に出る。
欝蒼とした木々に囲まれた川岸は昼でも薄暗い。舞はここまでは何度か来たことがあった。
今日はさらに川に沿って上流を目指してみるつもりだ。

柔らかい土の上には木の葉がたくさん落ちている。踏んでも音はほとんどしない。
川の上流は山に吸い込まれるように伸びている。
舞の足はそちらに真っ直ぐに向っていた。かれんのバイオリンの音もここまでは
届いてこない。わずかな足音だけが人の存在を辺りに知らせていた。
――へえ……こんな所に洞窟があるんだ……。
歩くこと数十分。川が山肌から流れ出す地点で舞は巨大な洞窟の存在に気がついた。
少し足を踏み入れると中は漆黒の闇である。……いや、奥のほうにわずかに黄色い光が見える。
――何かしら?
興味を覚えた舞は洞窟の中に更に入り込んだ。転ばないように右の壁に手をつきながら歩く。
黄色い光は薄ぼんやりとして、かなり奥にあるようだ。突然舞の足が何かに引っ掛かった。
「きゃっ」
小さな悲鳴をあげて転びそうになりながらも何とか体勢を立て直す。何につまずいたのか
と腰を下ろして地面に触れてみる。
――何かの……金属? ……

岩や土とは違う、独特の冷たさを持ったものが舞の手に触れる。ようやく闇に慣れた目が
その形を舞に伝える。がっしりとした鎖状の金属が地に這っている。
少し持ち上げてみようと試みたが、舞が簡単に持ち上げられるような重さではなかった。

薄い黄色の光は奥に進むにつれて少しずつ強くなっていく。あるところから、奥に進む
方が明るくなるという奇妙な状態になった。ここまで来てしまうと、とにかく奥に一度
行ってみなければならないような気持ちになる。

舞はさらに足を進めた。ぼんやりとしていた黄色い光が次第に何かの形になって見えてくる。
網の目のような構造で縦横に黄色の光が走っているのがやがて分かってきた。
光が見えるのは洞窟の一番奥の岩壁だ。恐らくそこで行き止まりなのだろう。
網をかけるようにして幾筋もの光が走っている。だがその光は決して強くはない。
どこかぼんやりとした不安なものだ。
舞は奥の岩壁の中央下側、ちょうど洞窟の入り口から見て正面に当たるところに何か
黒い影があるのに気づいていた。網の目に走る光はほぼ岩壁全面を覆っているのだが、
その影のやや一部分だけ網目のない部分がある。

一歩、また一歩と舞は足を進める。あと数歩で着くというところで舞はぴたりと足を止めた。
――人……?
影は人間の形をしていた。恐る恐る近づくと、舞よりも少し背の高い女性の姿だった。
両腕を胸の前で交差させた姿で、やや俯き、目は固く閉じている。青く長い髪は背中へと
流れているのだろうが良く見えない。光は灰色の服を纏った彼女の身体の上にも網目状に
走っているが、顔の部分だけは光がかかっていない。

――死んだ……人……?
こわごわと手を伸ばす。舞の手が、目の前の人の握られたこぶしの上に近づいた。
少しずつ近づけていく――手が触れた。舞ははあっと息を吐き出した。
――生きてる……
触れた手の体温は低かったが、死んだ人のそれのように冷たくはなかった。
触っていると鼓動すら感じられるような気がする。
舞はそっと彼女の頬に手を触れた。やはり体温は低いが、手よりも少し温かい。
「う……」
彼女の口から声とも息ともつかないものが漏れた。はっと舞は手を離した。

ゆっくりと少女が目を開く。見開かれた青い瞳はどこか透き通った水を思わせる。少女の
目は初めのうちどこか焦点があっていなかったが、次第に意思を取り戻していく。
視線をまともに浴び、舞は一歩下がって逃げようとした。だが少女の言葉が舞の動きを止めた。
「舞……」
「えっ……? どうして私の名前を?」
彼女の目が舞の言葉とともに驚愕に染まる。
「どうして、って……」

うろたえて少女は目を宙に彷徨わせる。だがやがて再び口を開いた。
「あなたは、舞なんでしょう? 美翔舞」
「そ……そうですけど……」
二、三歩下がった舞に少女が「行かないで!」と叫ぶ。
その悲痛な響きは舞をもう一度立ち止まらせた。
「私のこと、分からない?」
ゆっくりと舞が頷くと彼女は悲しそうに青い瞳を伏せた。
「どうして私のことを……?」
知っているんですかと尋ねると、
「ずっと一緒にいたからよ。……私に丁寧語を使う必要なんてないわ。
舞は、私にいろいろなことを教えてくれていたの」
「……」
おかしな話だった。舞にはそんな覚えはない。しかし目の前の少女が嘘をついているとも舞には思えなかった。
「とにかく一度、外に出て……」
彼女は静かに首を振る。
「今、私はここから出るわけにはいかないわ」
「そんな」
舞は彼女の様子を見て、はっとあることに気づいた。
彼女は先ほどから表情は変わるものの首から下の部分、ちょうど光の網が重なっている
部分は少しも動いていない。
良く見れば手首の部分には、網の目に重なるようにして光の輪が枷のようにはまっている。
視線を下ろすと足首にも同じような輪がはまり、そこから伸びる光の筋は暗い地面の上で
鎖状のものに繋がっているように見えた。

舞の視線と表情から少女は考えを察したらしく、
「今のあなたにはそれを外すことはできないわ」と告げる。
「でも」
「できないわ」
青い瞳は反論を許さないかのように真っ直ぐに舞を見ていた。舞は「それでも……」と諦めきれない。
「私に何かできることは……」
「……咲はそばにいる?」
「咲?」
「日向咲。あなたの友達」
舞は首を振った。咲という名にも心当たりはない。
「そう……」
少女は考え込むように下を向く。
「その人が……?」
「咲を、探して。あなたと同い年で髪の毛は茶色くって、明るくて元気な女の子よ。
咲を見つければ多分……分かるから。色々なことが」
「色々なこと……」
それは具体的にどんなことだろうと舞は思ったが、聞くのは何となく躊躇われた。
「もう一つ教えて。あなたの名前」
「薫よ。霧生薫」

舞が洞窟を出た時、日は既に高く上っていた。もう昼時だ。闇に慣れていた舞の目は
明るい日差しにしばし戸惑い、慣れるまで少し時間が掛かった。
舞は急ぎ家へと戻る。かれんとこまちに日向咲という人のこと、霧生薫という人のことに
ついて聞いてみたかった。それに食事を作るのは舞の仕事だ。帰ってから急いで食事の
支度をし――やや手抜きになるのはやむを得ない――趣味に没頭しているこまちとかれんを呼ぶ。

「日向咲さんって、知ってますか?」
舞が話を振ったのは食事を始めてしばらくしてからのことだ。こまちもかれんも一瞬
きょとんとした表情を浮かべたが、
「知らないわね」「ええ」
と口々に答える。
「霧生薫さんは?」
この質問へも答えは同じ。こまちが「その人たちと何かあったの?」と逆に尋ねる。
「何があった……って……」
舞は話をしたものかどうか少し悩んだ。いつの間にかオムレツを食べるかれんとこまちの
手が止まり、舞の顔を覗き込んでいる。
優しく微笑んでいるこまちに促されるように舞は今朝のことについて話し始めた。


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